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J3040 筑後善導寺誌要 善導寺編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0441A01: に事へて宗の綱目を禀く修學年久しく稽古日に積む
J20_0441A02: と雖も邊土の學問恐らくは達せざる所あるを歎じ寂
J20_0441A03: 師の敎示によりて遂に比叡山に登り東塔南谷觀叡法
J20_0441A04: 橋の室にいたる時に年二十二壽永二年なり後更に證
J20_0441A05: 眞法印に從て天台の祕賾を傳ふ在山八年にして建久
J20_0441A06: 元年郷に還り翌年油山の學頭に補す學徒雲集し衆人
J20_0441A07: 林を成す三十二歳の時舍弟三明阿闍梨の悶絶するを
J20_0441A08: 目擊し忽にして眼前の無常に驚き速に身後の浮沈を
J20_0441A09: 思ふ時に明星寺の三層塔婆重修其の功を畢へ國師乃
J20_0441A10: ち其の本尊を迎へんが爲に再び上洛す思惟すらく我
J20_0441A11: れ昔證眞法印が常に法然上人を讃するを聞く今幸に
J20_0441A12: して便宜を得たり謁せずんばあるべからずと仍て東
J20_0441A13: 山の禪室に詣り初めて元祖法然上人に謁す時に上人
J20_0441A14: 御年六十五歳國師三十六歳建久八年五月上旬なり國
J20_0441A15: 師心中に竊に以爲へらく法然上人勸化に富むと雖も
J20_0441A16: 何ぞ我が所存に過ぎんやと時に上人徐に問ふて曰は
J20_0441A17: く子何の行を修するや答へて曰はく我れ塔婆を立て
J20_0441B18: 常に念佛を行ずと上人聞き已りて曰はく善導の勸化
J20_0441B19: を見るに起立塔寺は疎雜の業なり正定の行は獨り稱
J20_0441B20: 名念佛あるのみ但し念佛の義橫に九宗に通じ竪に淺
J20_0441B21: 深を該ぬ子が念佛は是れ何の念佛ぞやと國師其の問
J20_0441B22: を得て始めて我が不肖を耻ぢ舌を卷きて驚歎し虔恭
J20_0441B23: にして言ふ所なし上人更に語を續けて曰はく子は天
J20_0441B24: 台の學徒四明の門人なり今須らく三重の念佛を分別
J20_0441B25: すべし一には摩訶止觀の念佛二には往生要集の念佛
J20_0441B26: 三には善導勸化の念佛なりと具に其の義を演説し給
J20_0441B27: ふに言辭邈遠文義明察なり國師此の説を聞く時高擧
J20_0441B28: の心頓に息み渴仰の思轉た深し遂に五月より七月に
J20_0441B29: 至る三月の間座下に隨侍して敬て勸化を受けやがて
J20_0441B30: 歸國して佛像を塔に安置し供養を遂ぐ建久九年八月
J20_0441B31: 伊豫に到りて念佛を弘通するに道俗歸するもの數を
J20_0441B32: 知らず翌年二月三たび帝都に趣き重ねて元祖上人に
J20_0441B33: 奉仕す或時上人告げて曰はく建久九年春月輪禪定殿
J20_0441B34: 下の敎命に依り一軸の書を造り選擇集と號す而も嚴

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