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J3030 黒谷光明寺誌要 黒谷編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0405A01: ○庫裡 小方丈の南大方丈の東南に在り。桁行十二
J20_0405A02: 間梁行十一間南面瓧葺也。安永八年の建立なり。
J20_0405A03: ○其他 御居間。客間。事務所。表帳塲。玄關等の建物
J20_0405A04: 小方丈庫裡の中に介在す。共に文政年中の再建に
J20_0405A05: かかる中に於て御居間は法主の依止處なり佛間に
J20_0405A06: 頰燒阿彌陀佛を安置す。
J20_0405A07: ○極樂橋 總門通の東端玄關正面の磴道を下りし處
J20_0405A08: 兜之池に架す。寬永五年春日局麟祥院殿寄進の時は木
J20_0405A09: 造なりしも。同十八年豐永竪齊之を石橋に改む。
J20_0405A10: ○開祖大師本廟 又勢至堂といふ極樂橋の東に在
J20_0405A11: り。方三間寶形西面瓧葺也。初め第二世信空上人
J20_0405A12: 常に大師の芳骨を護持して身邊を放たさりしが。
J20_0405A13: 往生の後ち此地に葬る。然に應仁の役兵馬に蹂躝
J20_0405A14: せられて其所在を知るものなし。廿一世法山上人
J20_0405A15: の時善香法師靈夢を感して此地の廟跡なるを知り
J20_0405A16: 五輪を安し卵塔を築く。延寶四年金屋友竹等發起
J20_0405A17: して今の堂宇を營み本地勢至菩薩の像を塔上の厨
J20_0405B18: 子に安置す。『勢至堂』の額は曼珠院門跡良尚法親
J20_0405B19: 王の筆なり。今の庫裡は元の法泉庵にして安永六
J20_0405B20: 年別院格とす。
J20_0405B21: ○文殊塔 勢至堂の後山に在り。方二間五分三層
J20_0405B22: 高五丈三尺五寸西面瓧葺也。第二十八世往譽上人の時寬永
J20_0405B23: 十年豐永堅齊德川秀忠公菩提の爲に建つる所にし
J20_0405B24: て寬文三年修理を加ふ。
J20_0405B25: 本尊文殊菩薩及ひ脇侍は佛師運慶の作。日本三文
J20_0405B26: 殊の一と稱し。徃時中山寶幢寺足利義滿公の建立の本尊なり
J20_0405B27: しが同寺廢壞の後ち久しく民屋に在りしを移して
J20_0405B28: 本尊となす。
J20_0405B29: ○紫雲石 文殊塔の北一町西雲院の門内に在り。開
J20_0405B30: 祖大師紫雲光明の奇瑞を感見したまひし靈蹟にし
J20_0405B31: て。石上の小堂は初め元和九年中坊長兵衞之を立
J20_0405B32: て後ち延寶八年宗信法師之を再興す。『紫雲石』の
J20_0405B33: 額は照高院道晃法親王の染筆なり。
J20_0405B34: 今の西雲院は元の不斷念佛堂にして。寬永十一年

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