浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0403A01: | 門前町に在り。明二間 西面瓧葺也。高麗門の未 |
J20_0403A02: | た開けさりし時は皆之より出入す故に總門といふ |
J20_0403A03: | 現今の建物は寬政九年の改造にかかる。 |
J20_0403A04: | ○北門 境域の西北隅眞如堂に通する所にあり。明 |
J20_0403A05: | 二間北面瓧葺也。 |
J20_0403A06: | ○南門 岡崎神社より極樂橋に通する所に在り。明 |
J20_0403A07: | 一間二尺南面瓧葺なり。 |
J20_0403A08: | ○御影堂 桁行十三間梁行十二間南面瓧葺前拜桁行七間梁行二間 |
J20_0403A09: | 一尺四寸後門桁行三間梁行二間三尺五寸也。四十五世神譽上人の代安永五 |
J20_0403A10: | 年十二月回祿の後ち淨財を積み緇素を勸進し。天 |
J20_0403A11: | 明三年工を起し。同五年四月上棟。寬政三年四月 |
J20_0403A12: | 靈長上人の時落成遷座式を行ふ。 |
J20_0403A13: | 中央須彌壇上の宮殿には。宗祖大師御自作の座像 |
J20_0403A14: | を安置す。此像は建永年中 後白河法皇の皇女如 |
J20_0403A15: | 念尼公の爲めに彫刻したまひしものにして安藝國 |
J20_0403A16: | 豐田郡瀨戸田光明三昩院に護持せり。然に慶長十 |
J20_0403A17: | 七年當堂災に罹り神僧一夜刻成の影像燒失せしか |
J20_0403B18: | は。東照公領主福島正則に命して之を當山に遷さ |
J20_0403B19: | しむ。 |
J20_0403B20: | 左右の兩壇には。善導大師の立像信空上人の座像 |
J20_0403B21: | 歷代の法主及ひ門葉信徒の日月牌。萬人講の木牌 |
J20_0403B22: | 等を安す。後堂の壁畵勢至菩薩は法眼探策の筆な |
J20_0403B23: | り。 |
J20_0403B24: | ○阿彌陀堂 御影堂の東南に在り。桁行八間梁行七 |
J20_0403B25: | 間半西面瓧葺敷瓧也。永正年中理聖上人再興の後。 |
J20_0403B26: | 慶長十年豐臣秀賴公京都大佛殿造營の餘材を以て |
J20_0403B27: | 改造す是れ當山に於ける最舊の建造物なり。初め |
J20_0403B28: | 南面なりしを延寶六年引て西面に改む。 |
J20_0403B29: | 本尊阿彌陀佛丈六の座像は惠心僧都最終の作にし |
J20_0403B30: | て僧都一代彫刻に用ひたまひし器具を悉く其腹中 |
J20_0403B31: | に納めらる因て之を『乙の如來』と稱す。觀音勢 |
J20_0403B32: | 至の二脇士は後年の安置なり。脇壇には運慶作の |
J20_0403B33: | 地藏菩薩智證大師作の不動明王及ひ法譽上人の像 |
J20_0403B34: | を安す。後門の釋尊及ひ天井の蟠龍は專譽傳故の |