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J3030 黒谷光明寺誌要 黒谷編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0398A01: 二十八年影堂以下の修理を行ふ。三十二年一月十日
J20_0398A02: 安祥として寂す。壽八十一。
J20_0398A03: ○第六十世靜譽定玄上人
J20_0398A04: 寂蓮社雷阿拙默と號す。俗姓は仁井田氏弘化元年九
J20_0398A05: 月常州江戸崎に生る。嘉永五年四月同所大念寺に入
J20_0398A06: り寥譽上人に師事す。安政五年縁山に掛錫し宗學を
J20_0398A07: 研精すること十餘年。明治六年十一月越前西福寺に
J20_0398A08: 住し。十六年少敎正に補せらる。三十二年九月一宗
J20_0398A09: の公選により當山に晋董し正僧正に叙す。四十四年
J20_0398A10: 三月大僧正に進む。此年三四兩月開祖大師七百年御
J20_0398A11: 忌を修す。是より先門末を督勵して淨財を募り諸堂
J20_0398A12: を莊嚴し境内の敷石を改修す。
J20_0398A13:
J20_0398A14: 第三 伽藍興隆
J20_0398A15: 當山は。大師御在世の時は尚ほ一の草庵にして寺院
J20_0398A16: の觀あるに非す。大師終焉に臨みても遺跡遍州の慈
J20_0398A17: 訓を垂れて精舍の建立を誡めたまひしかは。信空上
J20_0398B18: 人等遺誡を守り敢て舊態を改めす。第五世惠顗上人
J20_0398B19: に至り始めて堂宇を經營し往昔紫雲光明の奇瑞あり
J20_0398B20: しに因みて紫雲山金戒光明寺と號す。第十世佛立惠
J20_0398B21: 照國師の時更に恢興する所ありしも應仁の蘗亂に滿
J20_0398B22: 山焦土と化し爾來四十餘年空しく荒草の繁茂に委せ
J20_0398B23: り。永正年中秀馨理聖の二上人深く靈蹟の廢滅を歎
J20_0398B24: き徧く都鄙に勸めて佛殿影堂を復興す。抑抑當山の
J20_0398B25: 地古來中山と稱し其北境は古の栗原にして所謂京師
J20_0398B26: 五三昧塲の一なるを以て當山の興隆と共に花洛の人
J20_0398B27: 士競て其墳墓を當山の境域に築きしかは。隨て衆徒
J20_0398B28: の塔頭支院を創するもの漸く多し。
J20_0398B29: 永祿元年實譽眞敎金光院を現地に創む。
J20_0398B30: 同四年溪譽善玉正福院を南谷に起す。後ち慶長年中現地に移す
J20_0398B31: 七年第十九世雲栖上人栖松院を建てて隱棲す常光院の南なり
J20_0398B32: 元龜三年秀譽春喜今の三門の南に善勝院を開く。
J20_0398B33: 天正元年專譽林勝大通寺後ち妙蓮院と改むを南谷に剏む。同二
J20_0398B34: 年第二十一世法山上人善香法師と共に大師埋骨の舊

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