ウィンドウを閉じる

J3030 黒谷光明寺誌要 黒谷編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0393A01: 向に引く。此年岡崎村と山公事あり當山勝利に皈す
J20_0393A02: 同七年伏見大阪堺門中を巡化す。同八年三月善導大
J20_0393A03: 師の一千年忌を修す。同九年源崇院に閑居し貞享二
J20_0393A04: 年八月二十九日寂す年七十。上人の形貌祖影に酷似
J20_0393A05: し見るもの之を異とす。曾て三門興立の志あり釋尊
J20_0393A06: の像を刻して後圖を俟つ。又才學に長し三經略解曼
J20_0393A07: 荼羅鈔淨家傳書等を著はす。
J20_0393A08: ○第三十五世通譽涱林上人
J20_0393A09: 入蓮社源阿と號す。延寶九年正月江戸幡隨院より晋
J20_0393A10: 董す。元祿元年十二月當山行者外記御室御所より法
J20_0393A11: 橋を許さる。同二年稱悅法師諸人を勸化して經藏を
J20_0393A12: 興す納むる所の黄檗版藏經は中島良喜の寄附する所
J20_0393A13: なり。此年奉行所に請願して山北の荒芝地を當山の
J20_0393A14: 所轄とす。又曼珠院門跡良尚法親王『淨土門宗最初
J20_0393A15: 處』の額を賜ふ蓋し尊應准后の勸進帳に據る者なり。
J20_0393A16: 同三年十一月所司代内藤大和守を當山に葬る。同五
J20_0393A17: 年大小方丈書院庫裡等を修理し六月十三日寂す。
J20_0393B18: ○第三十六世薰譽寂仙上人
J20_0393B19: 心蓮社桂嶽と號す。法を傳通院春岳上人に嗣き江戸
J20_0393B20: 幡隨院に住す。元祿五年八月當山に晋董す。寶永四
J20_0393B21: 年六月知恩院宮尊統法親王得度の敎授師となる。八
J20_0393B22: 月江戸に赴くや將軍綱吉公屢召して法を殿中に説か
J20_0393B23: しむ依て下谷晴雲寺に常在し三十人扶持を賜はる。
J20_0393B24: 翌年八月洛に歸り同六年正月十七日寂壽六十六。
J20_0393B25: ○第三十七世重譽寫悅上人
J20_0393B26: 願蓮社誠阿と號す。寶永六年三月結城弘經寺より晋
J20_0393B27: 董す。享保八年十一月十八日寂。
J20_0393B28: ○第三十八世到譽順敎上人
J20_0393B29: 靑蓮社速開と號す。丹波酒井谷の人なり。享保八年
J20_0393B30: 十二月鴻巢勝願寺より晋董。同十三年六月松平伊賀
J20_0393B31: 守父祖菩提の爲め年額米百五十石を納め永世違變な
J20_0393B32: きを誓ふ。同十四年三月百萬遍其藏する所の一枚起
J20_0393B33: 請を大師の眞蹟と稱して展開す。當山之を公儀に訴
J20_0393B34: へしかは所司代牧野河内守之を禁止するの事あり。

ウィンドウを閉じる