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J3030 黒谷光明寺誌要 黒谷編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0381A01: 盛修せしむ。
J20_0381A02: 元和寬永の頃了的第廿七世潮呑第廿八世の二上人相紹きて朝
J20_0381A03: 野の歸崇を博す。元和四年淺野長晟侯は其室正淸院
J20_0381A04: 殿照公の姬君の靈屋を堂側に營み寺領百石を附し。又雲
J20_0381A05: 光院尼公は其住宅を寄せて講堂大方丈を造り。寬永三
J20_0381A06: 年豐永氏三重の塔を山頂に建つ。其他洪鐘を鑄鐘樓
J20_0381A07: を築き門廡を改むる等諸堂完備し莊嚴漸く具はる。
J20_0381A08: 寬文二年二月當山靈寶を 後西院天皇 後水尾法皇
J20_0381A09: 及ひ東福門院の叡覽に供す。同十年吉田寺觀音の堂
J20_0381A10: 宇を阿彌陀堂の南側に築く。延寶年中錢屋良喜一切
J20_0381A11: 經を納め。元祿二年稱悅法師經藏を興す。又同年山
J20_0381A12: 北の荒地を得て領域を擴む。享保十三年松平伊賀守
J20_0381A13: 父祖追孝の爲めに毎年米百五十石を寄せ永代違變な
J20_0381A14: きを誓ふ。
J20_0381A15: 越えて安永五年十二月御影堂方丈庫裡等再ひ回祿に
J20_0381A16: 罹りしかば。神譽覺譽逾譽禀譽淨譽等歷代の法主勸
J20_0381A17: 財巡化幾多の歳月を閲して影堂方丈書院庫裡等悉く
J20_0381B18: 舊に復す。現今の堂舍即ち是なり。其後文政年中明
J20_0381B19: 譽顯海上人の時堂前の林藪を開拓し三門再建の土木
J20_0381B20: を起す。寥譽定圓上人第五十六世の代萬延元年三門落成
J20_0381B21: し又高麗門を新築す。是に於て諸堂全く備はり輪奐
J20_0381B22: の美洛東の偉觀を呈す。文久二年九月幕府の命によ
J20_0381B23: り一山を擧けて京都守護職松平容保侯の宿陣に供
J20_0381B24: す。是に依て明治維新の際薩藩兵士の包圍を受け砲
J20_0381B25: 丸御影堂前に落下せしも幸にして事なきを得たり。
J20_0381B26: 又王政復古して寺領除地悉く公收せらると雖も定圓
J20_0381B27: 上人門末支院を督勵して能く變に應し益益寺基を固
J20_0381B28: くす。明治三十一年十一月 今上天皇陛下儲位にま
J20_0381B29: しませし時當山に行啓あらせられ。翌日優渥なる御
J20_0381B30: 詞并に金子若干を賜ふ。現今境内の總面積四萬四千
J20_0381B31: 百六十坪餘。塔頭二十宇。末寺子院併せて三百三十
J20_0381B32: 餘箇寺あり。大師基を開きたまひしより玆に七百餘
J20_0381B33: 年。法統連綿として六十代。堂塔高く東山に聳え。
J20_0381B34: 門葉遠く諸國に榮ゆ。寔に是れ念佛弘通の根元地。

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