浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0380A01: | 明寺と號す。第九世定玄上人に至り當山淨華院と兼 |
J20_0380A02: | 帶の端を開く。第十世等凞上人永享の頃將軍足利養 |
J20_0380A03: | 敎公に乞ひ大内政弘伊勢貞國の資助を得て境域を擴 |
J20_0380A04: | 張し堂宇を恢興し宗侶受戒の道塲となす。上人學德 |
J20_0380A05: | 並ひ秀いて 後小松 稱光 後花園三朝の帝師たり |
J20_0380A06: | しかは 後小松法皇は『淨土眞宗最初門』の額を賜 |
J20_0380A07: | ひ。後花園天皇は滅後八年其德を嘉みして佛立惠照 |
J20_0380A08: | 國師と諡したまへり。 |
J20_0380A09: | 其後應仁の大亂あり佛殿僧房悉く灰燼に歸し荒廢四 |
J20_0380A10: | 十餘年に及ふ。永正年中極譽理聖上人深く靈蹟の廢 |
J20_0380A11: | 滅を歎き天台座主靑蓮院尊應准后の勸進狀を奉して |
J20_0380A12: | 知識を四方に倡へ佛殿影堂を舊觀に復す。之を當山 |
J20_0380A13: | の中興とす。 |
J20_0380A14: | 第二十一世法山上人織田信長豐臣秀吉二公の歸依に |
J20_0380A15: | よりて。天正二年信長公は制狀を寄せ。同十三年秀 |
J20_0380A16: | 吉公は寺領百三十石を給す。次に道殘源良の二師あ |
J20_0380A17: | り是より漸く淨華院の覊絆を脱す。文祿二年豐公の |
J20_0380B18: | 妾淀君先考淺井長政菩提の爲に御影堂を改築して輪 |
J20_0380B19: | 奐の美を極む。慶長十年豐臣秀賴公大佛殿造營の餘 |
J20_0380B20: | 材を以て阿彌陀堂を建立す現今の佛殿是なり。是時 |
J20_0380B21: | に當り天下靜定して京師また兵火の患なく四民倍繁 |
J20_0380B22: | 榮せしかは。當山の境域に墳墓を定むるもの多く塔 |
J20_0380B23: | 頭門末年を逐ふて增加し當山の興隆昔日に倍す。 |
J20_0380B24: | 德川氏起るに及ひ外護益益加はる。二十六世琴譽盛 |
J20_0380B25: | 林上人東照公の歸崇を得て慶長十五年當山を董する |
J20_0380B26: | や 御陽成天皇は特に紫衣の綸旨を賜ひ。照公は同 |
J20_0380B27: | 十八年六月勅許紫衣並に入院法度を定め。九月先規 |
J20_0380B28: | に凖して寺領百三十石の判物を賜ふ。 |
J20_0380B29: | 然るに慶長十七年九月十三日火を失し御影堂方丈庫 |
J20_0380B30: | 裡等燒亡し。堂司大師の影像を抱き出さんとして能 |
J20_0380B31: | はす共に燒死す。豐臣秀賴公直ちに之を再興し。照 |
J20_0380B32: | 公は大師御自作の影像を安藝國瀨戸田光明三昧院よ |
J20_0380B33: | り遷座せしむ。現今御影堂に安置する所の尊像是な |
J20_0380B34: | り。又令して毎年諸末寺を集會し開祖大師の御忌を |