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J3030 黒谷光明寺誌要 黒谷編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0379A01: 黑谷誌要
J20_0379A02:
J20_0379A03: 目 次
J20_0379A04: 第一 由緖沿革
J20_0379A05: 第二 歷代畧譜
J20_0379A06: 第三 伽藍興隆
J20_0379A07: 第四 古文書類
J20_0379A08: 第五 靈寶什器
J20_0379A09:
J20_0379A10:
J20_0379A11: 第一 由緖沿革
J20_0379A12: 開祖圓光明照大師 夙に世塵を厭ひ叡山黑谷に幽捿
J20_0379A13: したまひしより以來。或は諸宗の碩學を訪ひて顯密
J20_0379A14: の蘊奧を叩き。或は一代の三藏を繙きて經釋の本意
J20_0379A15: を探る。斯の如くして解脱の要路を求めたまふこと
J20_0379A16: 二十餘年。終ゐに 高倉天皇承安五年深く二尊の本
J20_0379A17: 懷を悟り他力易往の淨土宗を開創したまふや。叡岳
J20_0379B18: を辭して庵を洛東吉水に結ひひたすら專修念佛の一
J20_0379B19: 行を勸めたまふ。其後白川賀茂小松殿等其居あらた
J20_0379B20: まるといへとも化導日に盛にして門前常に市をな
J20_0379B21: す。
J20_0379B22: 中について當山は白川の禪坊と稱し。舊と黑谷の所
J20_0379B23: 領なりしが叡空上人入滅の時之を大師に付屬したま
J20_0379B24: ふ。舊記を案するに大師曾て眞如堂に詣てて淨敎の
J20_0379B25: 弘通を祈り。其より當山の林中を經回し山上の一石
J20_0379B26: に安座して暫く西方を念したまひしに谿間より紫雲
J20_0379B27: 靉靆として騰涌し金光赫〓として照耀せしかは是れ
J20_0379B28: 淨敎有縁の地なるへしとて止住あらせたまふと。其
J20_0379B29: 後嫡弟法蓮房信空上人叡山黑谷の本所と共に之を相
J20_0379B30: 續し常に當山に居住せられしかは人之を白川の上人
J20_0379B31: と呼へり。上人の沒後湛空惠尋惠顗相踵いて當山を
J20_0379B32: 領す。世世叡山黑谷と來徃せしよりまた新黑谷の稱
J20_0379B33: あり。第五世惠顗上人の時初めて堂舍を經營して寺
J20_0379B34: 觀をなす。乃ち大師感見の奇瑞に基き紫雲山金戒光

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