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J3020 清浄華院誌要 清浄華院編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0349A01: 旨を受け同三年七月六日正統傳燈位を繼承し是より
J20_0349A02: 諸國を遊化す寶治二年及ひ建治弘安の交凡そ十餘年
J20_0349A03: 間京洛に在りて弘法に勉む門下頗る榮へ關左三流關
J20_0349A04: 右三流に分かる淸淨華院は一條禮阿の門流なり但し是は
J20_0349A05: 初期のことにて後には支派混融して一大宗を形成す上人弘安十年七月六日鎌倉佐
J20_0349A06: 介谷悟眞寺に寂す壽八十九永仁元年七月記主禪師の
J20_0349A07: 徽號を賜ふ詳には別傳の如し
J20_0349A08: ○四世禮阿上人
J20_0349A09: 然空と號す字は禮阿俗姓は阿部氏父は貞公と云ふ幼
J20_0349A10: にして叡峰に登り永存阿闍梨に師事す後ち記主禪師
J20_0349A11: に謁して大法を面受す常に仁和寺の西谷に住して師
J20_0349A12: 承を宣揚す總系譜に稱して西谷派と云門人之を稱して法光明院義
J20_0349A13: と云ふ後ち當院に住す永仁四年正月望西樓道光大經
J20_0349A14: 鈔を著す師爲に之を刪補す翌年秋八月十一日寂す
J20_0349A15: ○五世向阿上人
J20_0349A16: 證賢と號す字は向阿別に是心と云ふ俗姓は源氏父は
J20_0349A17: 武田安藝守時綱母は遠江守時綱の女なり甲府に生る
J20_0349B18: 童名は德光丸建治三年十一月鎌倉に加冠して信宗と
J20_0349B19: 名け伊豆甲斐駿河安藝の守護に任せられしかど毫も
J20_0349B20: 世榮を好まざりしかば園城寺に投じて得度し後ち人
J20_0349B21: 洛して禮阿上人に師事し尋で當院に住す適ま二尊の
J20_0349B22: 靈告を感じ三部の假字鈔を製して相承の奧旨を舒ぶ
J20_0349B23: 名聲大に揚り化を仰く者踵を接す晩年洛西雙岡に隱
J20_0349B24: 棲し貞和元年六月二日安祥として寂す
J20_0349B25: ○六世玄心上人
J20_0349B26: 寂幽と號す向阿上人入室受業の弟子なり其傳詳なら
J20_0349B27: ず貞治二年六月二十七日寂す
J20_0349B28: ○七世玄敎僧正
J20_0349B29: 證法と號す至德二年○月二十六日寂す
J20_0349B30: ○八世敬法大僧正
J20_0349B31: 慧鎭坊貞凞僧全と號す 伏見帝の皇孫にして尊凞親
J20_0349B32: 王の御子なり行年十一歳叡山西塔黑谷の傳信和尚に
J20_0349B33: 投じて剃染受戒し傳信和尚は博學深智にして顯密二敎に達し大小戒律に於ては元應寺の開祖にして惠尋
J20_0349B34: (尋恐くは顗の誤ならん)和尚の上足西塔圓頓戒の棟梁なり諱は興圓神藏寺に住す黑谷並に松林房に住

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