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J3000 江戸崎大念寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0302A01: りて佛門の正路に入るもの日日にますます多し然る
J20_0302A02: に固執を改めさる輩ひそかに黨を結びて上人を害せ
J20_0302A03: んとす國制として民たるものは双劍を帶する事を許
J20_0302A04: されすと雖鎭臺是を上人の檀家に許して法座を守護
J20_0302A05: せしめ其任の重きことを知らしむ台廟の御時元和二
J20_0302A06: 年鎭臺奏してもとの西洋舘の地本博多町にあるもの
J20_0302A07: を上人に賜り正定山大音寺と號し院名は古きを用ひ
J20_0302A08: て中道院と稱す是れ當津に於て寺院建立の最初なり
J20_0302A09: 當地八月朔日の禮は地邦正元の如し此時當院第一
J20_0302A10: たり是上人の流芳なり
J20_0302A11: 寬永十三丙子庶民ひそかに彼の蠻敎を奉する輩本州
J20_0302A12: 島原天草の地にあつまりて一揆を結びしかは伊豆守
J20_0302A13: 源信綱朝臣公旨を蒙りて九國の諸軍を將ゐて之れを
J20_0302A14: 征せしかは明年に至りて賊徒平らきぬ又其翌年信綱
J20_0302A15: 朝臣彼賊の洪鐘を當山に寄附せらる是れ上人の邪徒
J20_0302A16: をさとせし大功あるを聞くが故なり又奏請して今の
J20_0302A17: 敷地を賜り寺房を引移さしむ同十八年辛巳上人を東
J20_0302B18: 都營中に召見し給ふ特に時服三を賜り出斑獨謁なり
J20_0302B19: 是より當山代代の住持職此禮芳を受く
J20_0302B20: 又殊に封告を賜り祠曹の副書を得て三寶に供給す
J20_0302B21: る事滿足せり
J20_0302B22: 當津の諸寺院封告あるものは皆當山の餘榮なり
J20_0302B23: 又白銀百錠を賜りて寺移の費料に充らる此時當津の
J20_0302B24: 民戸皆一夫を出さしめて其役を助けらる
J20_0302B25: 慶安四年辛卯十一月始より上人恙患あり西方に皈入
J20_0302B26: の時到れりとて專稱名號怠らす十三日に至りて正念
J20_0302B27: 亂れす端坐合掌し西に向ひ示寂す世壽六十四法﨟五
J20_0302B28: 十六年
J20_0302B29: 當津の寺院の衆檀死者ある毎に券札を以て官にまう
J20_0302B30: して其防禦をなす事おこそかなりこれ國制にて貴賤
J20_0302B31: 同しく長逝するものは度牒を寺院に受用す是れ彼の
J20_0302B32: 蠻姦をたたすか爲なり當山獨り其列にあつかる事な
J20_0302B33: し是れ上人の德流なり是れより世世の住務皆寵榮あ
J20_0302B34: るも上人の餘芳ならすや

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