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J3000 江戸崎大念寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0303A01: 享保庚子歳冬十月功德の碑を建つ其文略之前面
J20_0303A02: 崎陽大音寺開山上人功德之碑
J20_0303A03: 享保己亥年
J20_0303A04: 享保庚子歳冬十月東都物茂卿撰
J20_0303A05: 當山第六世住持上人談譽慧海立
J20_0303A06: 狀元及弟光祿大夫兵部尚書前都察院左都御史内
J20_0303A07: 閣學士兼禮部侍郞翰林院侍讀學士翰林院修撰中
J20_0303A08: 國彭啓豐如請書
J20_0303A09: 大淸乾隆四十一年十月
J20_0303A10: ○然蓮社廓譽天悅は下總國葛西人なりかつて江戸崎
J20_0303A11: に入寺留學し兩脉傳畢陸奧國に趣き田名郡大畑村に
J20_0303A12: 至り慶安元年月想山心光寺と名く
J20_0303A13: ○光蓮社然譽學洞は奧州岩城人鑒蓮社良守意順上人
J20_0303A14: 弟子初は大澤圓通寺に掛錫し後江戸崎に附法留錫す
J20_0303A15: 其後花洛に至りて一條智惠光院に住し次に飯岡西方
J20_0303A16: 院に住し次に野中專稱庵に住す元來隱逸を好み淸操
J20_0303A17: 默讓なりしかは愛宕郡市原村に靜林庵を作り棲こと
J20_0303B18: 十六年又慶安元子年大住村惠心庵を再興し寬文五巳
J20_0303B19: 年二月二日惠心庵にて沒す七十八才
J20_0303B20: ○勝蓮社超譽元主は筑前國人大念寺慶岩上人に隨從
J20_0303B21: 修學し歸國後日田郡大超寺に住務し又小笠原氏の請
J20_0303B22: により小倉峯高寺に住し寬永十一戌年速見郡木付に
J20_0303B23: て大音山法流院正覺寺を營作し寬文元年十一月十七
J20_0303B24: 日寂
J20_0303B25: ○源蓮社晃譽聖吟は岩公の上足として常に眞俗の用
J20_0303B26: 務を辨補し又學徒の訓導を專要とす法問講釋怠る事
J20_0303B27: なくつひに學頭に進み德望によりて當山第二世の貫
J20_0303B28: 主となる元和五年二月二十一日寂
J20_0303B29: ○正蓮社念譽萬龍は筑後國人一説に云惟任の家の子
J20_0303B30: 戰中より師を抱き中井式部が一子にて忠臣無二の士
J20_0303B31: なりとそ常に座下を去らすして法音を聽受し眞俗を
J20_0303B32: 弼衞して内幹事をつとむ寬永八年當國河内郡釜井に
J20_0303B33: 龍王寺を起立し寬文二年七月十四日寂
J20_0303B34: 末宇有縁

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