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J3000 江戸崎大念寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0290A01: に聞しられ師佛法紹運の時なりやとかの佛を求請せ
J20_0290A02: られ今も此傳法佛とすつひに此冬三國相承の傳法式あり慶長五
J20_0290A03: 年町屋より火うつりて寺門類燒せしかは屆の爲師江
J20_0290A04: 府に出られ地狹少隘を訴願ありけれは上聞に達し内
J20_0290A05: 藤修理進に被仰付西町の内にて寺地拜領被仰出然れ
J20_0290A06: とも此地へ古來より民家移難くと片ヶ輪へ寄西町片
J20_0290A07: 輪に寺を建當所町名大數南大宿町一丁大宿〓町二丁戸張町二丁西町二丁不動院門前町二丁下新町一丁上新町一丁橫町一
J20_0290A08: 丁根町一丁切通一丁西本町二丁濵町一丁なり寺員は眞言宗五天台宗九淨土三曹洞三臨濟五時宗一山伏二有之文政三春遊踏の時記
J20_0290A09: 筑後國善導寺は師の古郷に近ければ先祖廟參且は有
J20_0290A10: 縁濟度の爲めに所由ありとて國師より奏達に及ばれ
J20_0290A11: しかは台命ありて筑後國善導寺住務を仰付られしか
J20_0290A12: は師又徒弟をつれて遠路轉越しかの寺に入院し二十
J20_0290A13: 世に住せらる
J20_0290A14: 案するに彼山善導寺の世系記を探覽するに廿世は圓
J20_0290A15: 譽辨跡上人廿一世は傳譽了感上人なり前後に師の
J20_0290A16: 名なし彼山にては世代を除けるか又は脱名か又は
J20_0290A17: 文祿中纔住故記錄燒失にて名牌を失するか詳なら
J20_0290B18: す今は當山の記によりて此事をのするのみ
J20_0290B19: 是は文祿年中肥前名護屋御陣まで神祖御持佛守護并
J20_0290B20: 御法話なとの爲の供奉として存應上人を始め不殘上
J20_0290B21: 人呑龍上人慶岩上人所化廓山上人の五人まかられけ
J20_0290B22: れど渡海の御日限も究らさりし故住職し關東下向の
J20_0290B23: 時伏見の宿より知恩院へ登山ありて善導寺兵火の爲
J20_0290B24: に燒れしかど本山よりいまた尋問させられず故に彼
J20_0290B25: 徒恨思の事ありと述られしかは滿譽大僧正直に良照
J20_0290B26: 院宗把を使僧として伏見宿まで綸旨并唐羅香衣一つ
J20_0290B27: 九條袈裟一つ被相送之
J20_0290B28: 慶長五年靑野原御勝戰御落去後翌六年鎭西より上洛
J20_0290B29: し御祝詞を述奉る時神祖遠路の處厚心出仕滿悅の至
J20_0290B30: りと御懇の上意の上御茶壼御鷹繪銀子百枚被下之翌
J20_0290B31: 年傳通院御建立に付師を中興とさせらるべき内命有
J20_0290B32: けれは新寺たる大念寺の相續いまた行末おぼつかな
J20_0290B33: く殊に風土國民他國にかはり奪僞妄謟の者はかりな
J20_0290B34: るの旨内内奏達し自然の御用にもいかがとの時御

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