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J2980 深川霊巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0243A01: 右衞門家長に賜れり慶長五年八月家長伏見城にて討
J20_0243A02: 死ありければ子息左馬介政長父封を繼入部の時菩提
J20_0243A03: 所を開基し花香谷村慶相山佐貫院善昌寺と名く
J20_0243A04: 善昌寺の號は始三河國加茂郡龜井戸にありて開山
J20_0243A05: 光蓮社演譽上人は内藤甚五右衞門淸政が子也伯父
J20_0243A06: 淸長天正十八年佐貫城に移封の時隨ひ來り小寺を
J20_0243A07: 營み内藤家の香花の地とせしかど慶長八卯年七月
J20_0243A08: 十四日歸寂せしかば此時無住なり
J20_0243A09: 善昌寺寬文五年奧州岩城平へ内藤家移城のとき寺
J20_0243A10: 號並住持をかの方へ引移されしかばその跡の寺を
J20_0243A11: 其まま松平出雲寺勝隆菩提所として修理を加へ
J20_0243A12: 覺雲山勝隆寺と改む故に今善昌寺の號南總にな
J20_0243A13:
J20_0243A14: 此時師の高德遠近に振ひしかば内藤氏より使者を以
J20_0243A15: て慇に請待し大衆法問結夏の料を寄附し宗門弘通心
J20_0243A16: のままにせらるへし外護檀越となりまゐらせむとあ
J20_0243A17: りしかば利樂有情は沙門の本意と是を承諾し内藤家
J20_0243B18: に對話の上善昌寺を檀林所と改ため定めらる是より
J20_0243B19: 大網より善昌寺に住持せられしかば大巖院には弟子
J20_0243B20: を住持せしめられければかの方に殘りし雲水も又生
J20_0243B21: 實にて師の舊友たりし僧歸國の上長育せし弟子など
J20_0243B22: も遠近の國國より集り來りければいつしか飯沼鎌倉
J20_0243B23: 瓜連生實などの檀林にもおさおさ劣らぬ程の衆徒あ
J20_0243B24: り此頃江戸にては東照宮御在城にて時時營中にて法
J20_0243B25: 問論議聽聞遊ばされしかば其度毎に師を其員に召れ
J20_0243B26: 御前にて御賞慇を蒙り奉られけるに慶長八年諸國の
J20_0243B27: 寺院私に法問論議し檀林の規條をととめられ
J20_0243B28: 是までは關東に限らず諸國にて有德有學の知識の
J20_0243B29: 許にては法問論議傳法講釋あり東國にては鎌倉瓜
J20_0243B30: 連飯沼小金生實縁山は近來德匠を選び住職あられ
J20_0243B31: しにそ自然と他國より傳法の爲め來遊せしかと猶
J20_0243B32: 西國にては多く京都本山並三河伊勢なとにて禁戒
J20_0243B33: 傳法ありし事なり
J20_0243B34: 公上より命ありて東關十八の外は是を嚴制させられ

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