浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0243A01: | 右衞門家長に賜れり慶長五年八月家長伏見城にて討 |
J20_0243A02: | 死ありければ子息左馬介政長父封を繼入部の時菩提 |
J20_0243A03: | 所を開基し花香谷村慶相山佐貫院善昌寺と名く |
J20_0243A04: | 善昌寺の號は始三河國加茂郡龜井戸にありて開山 |
J20_0243A05: | 光蓮社演譽上人は内藤甚五右衞門淸政が子也伯父 |
J20_0243A06: | 淸長天正十八年佐貫城に移封の時隨ひ來り小寺を |
J20_0243A07: | 營み内藤家の香花の地とせしかど慶長八卯年七月 |
J20_0243A08: | 十四日歸寂せしかば此時無住なり |
J20_0243A09: | 善昌寺寬文五年奧州岩城平へ内藤家移城のとき寺 |
J20_0243A10: | 號並住持をかの方へ引移されしかばその跡の寺を |
J20_0243A11: | 其まま松平出雲寺勝隆菩提所として修理を加へ |
J20_0243A12: | 覺雲山勝隆寺と改む故に今善昌寺の號南總にな |
J20_0243A13: | し |
J20_0243A14: | 此時師の高德遠近に振ひしかば内藤氏より使者を以 |
J20_0243A15: | て慇に請待し大衆法問結夏の料を寄附し宗門弘通心 |
J20_0243A16: | のままにせらるへし外護檀越となりまゐらせむとあ |
J20_0243A17: | りしかば利樂有情は沙門の本意と是を承諾し内藤家 |
J20_0243B18: | に對話の上善昌寺を檀林所と改ため定めらる是より |
J20_0243B19: | 大網より善昌寺に住持せられしかば大巖院には弟子 |
J20_0243B20: | を住持せしめられければかの方に殘りし雲水も又生 |
J20_0243B21: | 實にて師の舊友たりし僧歸國の上長育せし弟子など |
J20_0243B22: | も遠近の國國より集り來りければいつしか飯沼鎌倉 |
J20_0243B23: | 瓜連生實などの檀林にもおさおさ劣らぬ程の衆徒あ |
J20_0243B24: | り此頃江戸にては東照宮御在城にて時時營中にて法 |
J20_0243B25: | 問論議聽聞遊ばされしかば其度毎に師を其員に召れ |
J20_0243B26: | 御前にて御賞慇を蒙り奉られけるに慶長八年諸國の |
J20_0243B27: | 寺院私に法問論議し檀林の規條をととめられ |
J20_0243B28: | 是までは關東に限らず諸國にて有德有學の知識の |
J20_0243B29: | 許にては法問論議傳法講釋あり東國にては鎌倉瓜 |
J20_0243B30: | 連飯沼小金生實縁山は近來德匠を選び住職あられ |
J20_0243B31: | しにそ自然と他國より傳法の爲め來遊せしかと猶 |
J20_0243B32: | 西國にては多く京都本山並三河伊勢なとにて禁戒 |
J20_0243B33: | 傳法ありし事なり |
J20_0243B34: | 公上より命ありて東關十八の外は是を嚴制させられ |