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J2980 深川霊巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0242A01: 檀林深川靈巖寺志
J20_0242A02:
J20_0242A03: 目 次
J20_0242A04: 剙開叢林 當山創建 本尊迎置 珂山功操
J20_0242A05: 所建諸堂 門塀境景 稱三別院 子院八宇
J20_0242A06: 發意八庵 七谷學舍 朱璽賜章 開山廣濟
J20_0242A07: 歷世師名 當主法脉 遠祖遺弟 傳燈哲德
J20_0242A08: 諸侯墳墓 彫銘二三 大島堂跡 末寺十一
J20_0242A09: 御朱印五十石 道本山東海院靈巖寺
J20_0242A10: 境内古蹟拜領三萬一千五百六拾七坪餘
J20_0242A11: 剏開叢林
J20_0242A12: 開祖靈巖上人慶長八年安房國にありて眞宗の要義を
J20_0242A13: 説法せられしかば里見安房守忠義師に歸依せられし
J20_0242A14: に依り藩老東條民部左衞門金藤九郞右衞門是又同じ
J20_0242A15: く隨喜し大網村にて一宇を建立し佛法山大網寺大巖
J20_0242A16: 院と名く東西七丁南北十丁を寺境とし專ら所化を集
J20_0242A17: 會し法問論義の談所と定め規條淸差を新たに定め生
J20_0242B18: 實飯沼縁山鎌倉に鼎約して宗門の大檀林とす
J20_0242B19: 師始生實大巖寺の三世として檀林の能化なりしか
J20_0242B20: ど故ありて寺を辭遁し一旦南都伊勢國に遊び諸國
J20_0242B21: に寺院を開基せらるる事三十余宇そののち東照宮
J20_0242B22: の命により再び生實に再住し法灯をかかげられし
J20_0242B23: かど總房の二州天台眞言日蓮の三宗のみ多くあり
J20_0242B24: て淨家はいとまれなれば宗門興隆のため安房國に
J20_0242B25: 渡り説法度生ありし時大巖院を始保田別願院檢義
J20_0242B26: 谷原大勝院等房總の間に師の建創少からず然れど
J20_0242B27: も檀林と定められしは當山のみなり院名の大巖は
J20_0242B28: 生實をうつされし心なりとぞ
J20_0242B29: 生實に住職の間隨從ありし所化又は遠近の國郡より
J20_0242B30: 師の德風をしたひ雲水の輩集會し常に法問講釋間斷
J20_0242B31: ある事なかりしかは寺門日日に繁榮し眞俗の興隆東
J20_0242B32: 關に最頂なり
J20_0242B33: 師の行狀は予文政四年廣濟傳三卷を述す故に玆略
J20_0242B34: 天正十八年御入國の時上總國佐貫城二萬石を内藤彌次

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