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J2970 下谷幡隨院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0241A01: 境内 開山向蓮社廻譽重達上人元和二年八月二十二
J20_0241A02: 日剏營檀那近藤登之助同縫殿助同石見守野野山新兵
J20_0241A03: 衞等なり寺傳に講安寺と一寺なりしを後兩寺に分つ
J20_0241A04: 故院號寺號を以て二稱とすと云云廻譽正 三年八月
J20_0241A05: 十九日滅
J20_0241A06: 同所武縁坂上 專修山講安寺
J20_0241A07: 境内拜領地表三十五間裏六十間門前町屋七軒小間三
J20_0241A08: 十二間開山稱仰院に同し慶長十一年八月二十五日起
J20_0241A09: 立檀主村上氏等
J20_0241A10: 駒 込 東梅山淸林寺
J20_0241A11: 境内千三百三十二坪拜領地開山長蓮社觀譽龍脱上人
J20_0241A12: 元神田三河町にて創營次に柳原へ轉じ慶安元年十一
J20_0241A13: 月又此地に移
J20_0241A14: 駒 込 東向山大運寺
J20_0241A15: 境内地子古跡表十六間裏十五間開山願譽順故上人寬
J20_0241A16: 永四年起立
J20_0241A17: 四谷鳴子 松苔山西方寺
J20_0241B18: 境内拜領地千四百坪門前町屋小間十五間開山本蓮社
J20_0241B19: 心譽利通上人元和三年二月起立
J20_0241B20: 御朱印三十石 尼寺 本所原庭正覺山感應寺
J20_0241B21: 境内古跡拜領地八百七十五坪此内四百五十坪は元坪
J20_0241B22: なり四百二十五坪は增坪なり外に二十七坪は抱地元
J20_0241B23: 祿十六未年三月改之
J20_0241B24: 開山淸薰法尼は桂昌院殿召仕せられし女中なり常憲
J20_0241B25: 院殿御他界後願により本所に引籠稱名念佛し偏に彼
J20_0241B26: 御菩提を吊ひ奉れり本山岳譽上人より淨土の要義を
J20_0241B27: 傳承し願によりて一寺を起立し淸薰寺と名けしに桂
J20_0241B28: 昌院殿御母儀感應院殿の號を乞ひ彼の御追福所とし
J20_0241B29: て寺號を改御朱印を賜り本尊惠心僧都作彌陀佛を安
J20_0241B30: 置す後古跡並に仰せ付られ同胞又は親しき女中の内
J20_0241B31: 剃髮せしを同學とし專修淨業の靈場となせしなり
J20_0241B32: 武州葛飾郡曲金淸凉山西方院極樂寺
J20_0241B33: 開山乘蓮社廓譽善冏上人文祿元年起開慶長元年九月
J20_0241B34: 二十八日寂

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