ウィンドウを閉じる

J2970 下谷幡隨院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0239A01: 住す貞享五年五月三日死八十六
J20_0239A02: ○源蓮社空譽蓮隨は伊勢人野崎氏幡隨上人を師とし
J20_0239A03: 受學修練附法のこす事なし慶長の始駿府籠鼻淨光院
J20_0239A04: に住し當伊勢山田稱應院に住す靑木氏蓮花院梅香大
J20_0239A05: 姊の請願によりて同所に蓮華院觀音山蓮花院梅香寺
J20_0239A06: を開基予別に此寺本記二卷を述す故に玆に畧す
J20_0239A07: ○忍蓮社湛譽靈通は幡隨上人弟子慶長中伊勢國度會
J20_0239A08: 郡慥柄浦に龍寶山海藏寺を中興す元禪宗なり元和三
J20_0239A09: 年五月十五日化
J20_0239A10: 緇素往生傳上初右○聖蓮社岌譽露月は武藏國巖月の人なり姓氏詳なら
J20_0239A11: す一説に太田氏の庶子と云又岡見氏とも云齠年にし
J20_0239A12: て淨國寺に薙染す十六才にして遊學し三縁山感譽上
J20_0239A13: 人に隨從し宗の口授を受け錫を座下にとどむ又幡隨
J20_0239A14: 上人に法弟の約をなせり凡叢林を徧歷する事二十四
J20_0239A15: 年志法幢をたて大法を弘通せんとして伊勢大神宮に
J20_0239A16: 詣で祈誓する事七日靈感によりて當國松坂樹敬寺に
J20_0239A17: 住し十一世たり素より一寺を草創せまく慶長の始
J20_0239B18: 津に至り城主富田信濃守に告請し地を卜して營構し
J20_0239B19: 地島山天然寺と名く同十二年藤堂和泉守高虎朝臣封
J20_0239B20: を當地に移す時師郊迎せられしを大守大に悅び他日
J20_0239B21: 海濱に漁獵の便寺院に至り大に營構せらる是より數
J20_0239B22: 數城内に召し聽法歸仰せられ命じて領國の中に所有
J20_0239B23: 淨家の隷屬と定めらる是より太夫庶商領を引踵を接
J20_0239B24: 歸嚮する事水の谿に下るが如し子院六宇屬寺十五區
J20_0239B25: 輪奐觀を改め一巨刹となる師住する事三十五年元和
J20_0239B26: 八年十一月六日西邁の期を知り書偈云果佛一聲萬
J20_0239B27: 行宗致弘誓一行衆德根元念與無念念佛三昧證與
J20_0239B28: 無證超生淨土ト端坐念佛數百聲にして寂す春秋七十
J20_0239B29: 九三資あり岌山は寺内に快樂院屋松院を建廓俊は後
J20_0239B30: 當山五世中興となり三鉤は竹道庵後改南尚院に住す
J20_0239B31: 明石家系(畧之)
J20_0239B32: 島津家譜(畧之)
J20_0239B33: 牧野家系(畧之)
J20_0239B34: 植村氏當時斷絶當山所葬計を累系す(畧之)

ウィンドウを閉じる