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J2950 岩付浄国寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0182A01: に止めん事を乞
J20_0182A02: 小諸領内松井村に松井山歡喜院と云淨家有 寺跡今にあり
J20_0182A03: 其の開祖をしらす天正十八年仙石越前守秀久小諸
J20_0182A04: 城主とならるる時秀久父秀盛を寶圓院仙譽淨翁禪
J20_0182A05: 定門と云三十三回の時文錄二年追善の爲め歡喜院
J20_0182A06: に於て千部の讀經あり其導師として鴻巢勝願寺主
J20_0182A07: 不殘上人を請せらる玆に不殘上人を尊敬の爲め領
J20_0182A08: 内にて同宗器量の僧を選び其の相伴たらんと尋ら
J20_0182A09: るるの日岩村田にて惠頓の事あり
J20_0182A10: 仙石氏元より淨土宗門なれば常に勝願寺主不殘上人
J20_0182A11: をまねきて先考追福を修するの時或時不殘上人法會
J20_0182A12: 相すみて後初て件の事を聞き對面ある時殘公も惠頓
J20_0182A13: も同しく淸巖上人の會下又は感譽上人の輪席にて昔
J20_0182A14: し因位に同學の好因なりしかば互に和膝語交あり頓
J20_0182A15: て殘公歸寺に及ふの時城主秀久に告けて云斯僧我因
J20_0182A16: 位の時同檀林同學なり自今以後追善法要の導師予來
J20_0182A17: に及はず惠頓を請せらるべし又此院無住たるの條惠
J20_0182B18: 頓の支配たるべきの旨のべ畢て金襽五條の袈裟を讓
J20_0182B19: らる故に重て歡喜院に住し西念寺を兼帶す秀久此言
J20_0182B20: を聞きいよいよ歸依し寺宇を城下近き所に移し再營
J20_0182B21: 阡鮮なり時境内三丁四方是を寺跡と傳ふ後其處に光
J20_0182B22: 岳寺を建立す扨歡喜院の寺山號を城主秀久惠頓に談
J20_0182B23: し父寶圓院仙譽淨翁居士が菩提の爲めなれば寶仙寺
J20_0182B24: と名づけ古來の歡喜を其儘院とし松翁山と名くべし
J20_0182B25: 此の松を付るに二義あり一には本は松井の里にあ
J20_0182B26: りて松井山と云ふ二には秀久天正十三年四國亂長
J20_0182B27: 曾我部元親退治の時武勇を顯し淡路より讃岐國十
J20_0182B28: 八萬石拜領國主と成天正十四年島津攻の時秀久軍
J20_0182B29: 制外し諸將の先立せられし科により暫く牢牢たり
J20_0182B30: しかと同十八年小田原陣時功により小諸六萬石を
J20_0182B31: 拜領す松の字に父追善の爲め本城十八萬の字形に
J20_0182B32: 翁の字は法名なれは拾ひ取りしなりと秀久惠頓に
J20_0182B33: 物語あられしとなり
J20_0182B34: 慶長十九寅年五月六日秀久卒圓覺院寶譽道樹禪定門

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