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J2940 瀧山大善寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0163A01: ここに三河國額田郡大樹寺にては此法會を七日七夜
J20_0163A02: に修しぬ其來由を傳聞するに應仁元年八月松平和泉
J20_0163A03: 守親忠君わづか五百の軍兵を以て同時伊田野に於て
J20_0163A04: 數萬の軍勢と戰給けるにかねて我宗の知識なる勢譽
J20_0163A05: 上人より宗門の安心起行を傳授し厭穢欣淨の旗をな
J20_0163A06: びかせ死をかへりみず合戰し給けるに護法善神の加
J20_0163A07: 備力にて忽ち討勝給ける其後文明七年かの戰死せし
J20_0163A08: 伊田野にて矢さけび刀のつば音ときの聲なと晝夜と
J20_0163A09: なく聞へしかは遠近の老少是がために愁ふる事少か
J20_0163A10: らざりしかば親忠君是をあわれませ勢譽上人に亡靈
J20_0163A11: 得脱を乞せ給ければ上人七日七夜の念佛を修しかの
J20_0163A12: 亡魂を回向あられけるに願以此功德の文に至り忽ち
J20_0163A13: 矢さけびなとの聲一時にやみければ君感悅のあまり
J20_0163A14: 佛供料を定め永代七日七夜修行すべきの仰あり爾來
J20_0163A15: 今に至り大樹寺にては第一の法會と定りぬ
J20_0163A16: 前説のごとく後土御門院の勅宣によりて我宗に移り
J20_0163A17: し大法會なれば一宗の寺院は悉く十夜を修せさる所
J20_0163B18: なかりける中にも我山にて修行の濫觴を考ふるに天
J20_0163B19: 正十八寅年豐臣大閤殿下相模國小田原の北條家を征
J20_0163B20: 伐せさせ給ひし時當所元八王子城主北條陸奧守氏照
J20_0163B21: は連枝にておはしけれは數萬の軍兵を以征伐させら
J20_0163B22: れしにぞ六月廿三日憐むべし戰塲に討死せる者二千
J20_0163B23: 餘人其中に當山の檀越二百八十三人みな百年の妄縁
J20_0163B24: 劒光の中に消て迷執の㷔城跡に殘りしかば開祖讚譽
J20_0163B25: 牛秀上人平生資助の事縁を存せられ十夜の法會は一
J20_0163B26: 宗の通規にて殊に功德廣大なればかの亡魂得脱のた
J20_0163B27: め翌年より十夜の法會をひらき遠近の門末をあつめ
J20_0163B28: 道俗の廻向を求めらる夫大厦の構何ぞ一木の所成な
J20_0163B29: らん梁柱たすけあはせ衆功によりて助成するもの也
J20_0163B30: 戰死數千の迷魂ただ一己の廻向にやまんや道俗をあ
J20_0163B31: つめて妄靈を吊わんと法會を開かれしかば近郷の
J20_0163B32: 老若遠里の男女雲のことくに集り麻のことくにつら
J20_0163B33: なりてつひに二百餘年の今に斷絶ある事なし其後當
J20_0163B34: 山中興廣譽詮雄上人諸堂再興ののちはいよいよ儀軌

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