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J2940 瀧山大善寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0164A01: 嚴重の執行に至れり凡諸善の中功德の勝れし事念佛
J20_0164A02: にしくものなし既に一念十念に重罪を消滅し三聖の
J20_0164A03: 來迎あり况や十念百念乃至一日十日をや夫在家は
J20_0164A04: 平生世業にいとまなし片時も閑をうる事なしたまた
J20_0164A05: まうけがたき人身をうけ逢がたき佛敎に逢ける思出
J20_0164A06: に十夜大善の法會のむしろにいたり淨縁をむすびみ
J20_0164A07: つから念佛せば無量大利の利益によりて現世は諸の
J20_0164A08: 災難を除滅し福壽吉祥にして子孫永く繁榮し當來に
J20_0164A09: は九品の花ぶさあざやかにひらけ佛果を增進すべし
J20_0164A10: 猶先だちし先祖は無上菩提を證得せん事更に疑ひ有
J20_0164A11: べからざるもの也
J20_0164A12: 禀承弘通
J20_0164A13: ○大蓮社照譽呑榮は甲州人にて岌譽の弟子として瀧
J20_0164A14: 山に入寺し呑龍上人の隨從弟子となり附法相承し歸
J20_0164A15: 國後慶長二年四月府中にて高岳山光淨寺を起立し又
J20_0164A16: 同所に向富山敎學院を起立し同十七年三月六日死す
J20_0164A17: ○圓蓮社覺譽貞順は瀧山所化なり附法相すみて後寬
J20_0164B18: 永八年甲州市川村にて秀見山龍泉寺を建立あり寬
J20_0164B19: 文九年九月二日化
J20_0164B20: ○聖蓮社寂譽它傳は武州八王子人瀧山に掛錫し呑龍
J20_0164B21: 上人に附法修學す性隱逸捨世を好み少も名利に走ら
J20_0164B22: す麁衣淡食實に修佛道の仁なり正保二年善光寺參詣
J20_0164B23: の時信濃國靑木村に一宿す村の名主渡邊氏頻に歸依
J20_0164B24: しとどめて別時念佛をつとむ寂譽勤行の暇彌陀像千
J20_0164B25: 體を彫刻ここに渡部氏領主へ願ひ先祖持來の地を割
J20_0164B26: 又郷里を勵し一寺を建基し光明山攝取院阿彌陀寺と
J20_0164B27: 名けかの千體の像を安置す
J20_0164B28: ○生譽柳甫は瀧山に隨從留學し船譽舊呑上人に附法
J20_0164B29: し舊庵と改越中富山に至り泰性山無常院大信寺を開
J20_0164B30: 起す明曆三年花頂山末に列し元祿元年七月廿九日寂
J20_0164B31: ○深蓮社心譽高吟は相模國小田原人同所安樂寺弟子
J20_0164B32: 瀧山に止學習業し二脈相承ののち歸國高座郡長坂上
J20_0164B33: 宿村にて無量山泉龍寺を起立す
J20_0164B34: 門末由縁

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