浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0162A01: | 田原景勝利家命防參之士攻山下之陣近藤出 |
J20_0162A02: | 羽介降戰而死中丸爲中山勘解由狩野一庵放將義士三 |
J20_0162A03: | 百楯籠于此景勝利家思秀吉之言在玆先日秀吉云景 |
J20_0162A04: | 勝利家拔數城不無其功然皆肯其降焉其 |
J20_0162A05: | 或一戰守兵屠滅之悉殺之則一宥威法吾深賞之而 |
J20_0162A06: | 已勵軍兵而緊攻之城兵不透發矢飛炮城下取死亡 |
J20_0162A07: | 者既及數百人橫地見之棄本城而逃去中山狩野率三百兵與敵 |
J20_0162A08: | 兵駈合屢戰屢擊歸本城殘兵僅十餘人自殺下略 |
J20_0162A09: | 武德大成 武德徧年集成 列祖成績等同之 |
J20_0162A10: | 十夜勸進 |
J20_0162A11: | 瀧山大善寺十夜勸進記 文政三年山主典常上人任賴代撰 |
J20_0162A12: | 抑十夜法要を修する事は阿彌陀佛の本願成覺釋迦世 |
J20_0162A13: | 尊の自説に根據し三國に傳修する事既に久し就中我 |
J20_0162A14: | 朝にて其來由を尋考するに仁明天皇御宇承和五年六 |
J20_0162A15: | 月廿二日慈覺大師右大辨常嗣とともに勅宣に依入唐 |
J20_0162A16: | し萬里の滄海を越五臺山北臺普通院にて生身の文殊 |
J20_0162A17: | 菩薩より引聲彌陀經引聲念佛を傳來し給ひしより比 |
J20_0162B18: | 叡山常行堂にて修行し給ひしかど大師入滅ののちは |
J20_0162B19: | 京眞如堂眞正極樂寺にて法會勤修有しより永く天台 |
J20_0162B20: | 宗の儀則と定まりかの宗にて末代念佛の勝會となれ |
J20_0162B21: | り其後明應四年卯三月相模國鎌倉光明寺八世長蓮社 |
J20_0162B22: | 觀譽上人は淨家の高德解行の芳名都鄙につたへけれ |
J20_0162B23: | ば後土御門院はるかに召させ給ひ御所に於て阿彌陀 |
J20_0162B24: | 經を講説のため猶十夜法會を禁中にてつとめ奉られ |
J20_0162B25: | し時帝叡感のあまり賞を賜るべきむね有司に命し仰 |
J20_0162B26: | 出されし別願もしあらは奏すべしとの事なりしかば |
J20_0162B27: | 師時至れりと沙門の身體別に願望なし此法會を淨家 |
J20_0162B28: | にうつし海内の寺院に修行させ上は國朝の延久を祝 |
J20_0162B29: | 禱し奉り下は有無二縁一切衆生の二世安樂にすすめ |
J20_0162B30: | なん事を奏願せられしかば叡感殊に深く願のむね敕 |
J20_0162B31: | 許し天照山は根本の法會なれはと永世賜紫の綸旨を |
J20_0162B32: | 賜りしかは師是より法會を一宗につたへ天照山にて |
J20_0162B33: | は其冬初て興起せられしより一宗の寺院諸國に是を |
J20_0162B34: | 模修し末世不朽の法會とはなりぬ |