ウィンドウを閉じる

J2940 瀧山大善寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0162A01: 田原景勝利家命防參之士攻山下之陣近藤出
J20_0162A02: 羽介降戰而死中丸爲中山勘解由狩野一庵放將義士三
J20_0162A03: 百楯籠于此景勝利家思秀吉之言在玆先日秀吉云景
J20_0162A04: 勝利家拔數城不無其功然皆肯其降焉其
J20_0162A05: 或一戰守兵屠滅之悉殺之則一宥威法吾深賞之而
J20_0162A06: 已勵軍兵而緊攻之城兵不透發矢飛炮城下取死亡
J20_0162A07: 者既及數百人橫地見之棄本城而逃去中山狩野率三百兵與敵
J20_0162A08: 兵駈合屢戰屢擊歸本城殘兵僅十餘人自殺下略
J20_0162A09: 武德大成 武德徧年集成 列祖成績等同之
J20_0162A10: 十夜勸進
J20_0162A11: 瀧山大善寺十夜勸進記 文政三年山主典常上人任賴代撰
J20_0162A12: 抑十夜法要を修する事は阿彌陀佛の本願成覺釋迦世
J20_0162A13: 尊の自説に根據し三國に傳修する事既に久し就中我
J20_0162A14: 朝にて其來由を尋考するに仁明天皇御宇承和五年六
J20_0162A15: 月廿二日慈覺大師右大辨常嗣とともに勅宣に依入唐
J20_0162A16: し萬里の滄海を越五臺山北臺普通院にて生身の文殊
J20_0162A17: 菩薩より引聲彌陀經引聲念佛を傳來し給ひしより比
J20_0162B18: 叡山常行堂にて修行し給ひしかど大師入滅ののちは
J20_0162B19: 京眞如堂眞正極樂寺にて法會勤修有しより永く天台
J20_0162B20: 宗の儀則と定まりかの宗にて末代念佛の勝會となれ
J20_0162B21: り其後明應四年卯三月相模國鎌倉光明寺八世長蓮社
J20_0162B22: 觀譽上人は淨家の高德解行の芳名都鄙につたへけれ
J20_0162B23: ば後土御門院はるかに召させ給ひ御所に於て阿彌陀
J20_0162B24: 經を講説のため猶十夜法會を禁中にてつとめ奉られ
J20_0162B25: し時帝叡感のあまり賞を賜るべきむね有司に命し仰
J20_0162B26: 出されし別願もしあらは奏すべしとの事なりしかば
J20_0162B27: 師時至れりと沙門の身體別に願望なし此法會を淨家
J20_0162B28: にうつし海内の寺院に修行させ上は國朝の延久を祝
J20_0162B29: 禱し奉り下は有無二縁一切衆生の二世安樂にすすめ
J20_0162B30: なん事を奏願せられしかば叡感殊に深く願のむね敕
J20_0162B31: 許し天照山は根本の法會なれはと永世賜紫の綸旨を
J20_0162B32: 賜りしかは師是より法會を一宗につたへ天照山にて
J20_0162B33: は其冬初て興起せられしより一宗の寺院諸國に是を
J20_0162B34: 模修し末世不朽の法會とはなりぬ

ウィンドウを閉じる