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J2940 瀧山大善寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0154A01: 津戸淵 遺事云谷保村の邊玉川端に古へ大なる
J20_0154A02: 淵ありて毒蛇のすみけるが度度大水の難ありて田
J20_0154A03: 畠をあらし民を損ざしけるを三郞爲守彼毒蛇を退
J20_0154A04: 治せられしとなり夫より世人津戸淵といひけるが
J20_0154A05: 今は田地と成只其名を殘せしのみなり云云
J20_0154A06: 遺事云爲守の鎧甲はなくて指物とて社壇に奉納す
J20_0154A07: 然れども腐損し今現在す又云津戸三郞が守本尊と
J20_0154A08: て長一寸四五步の伐木に藥師の像並十二神を微細
J20_0154A09: に彫刻せしあり希代の靈佛なり誰が作といふ事を
J20_0154A10: しらす爲守が髻りの藥師又は小枕の藥師ともいふ
J20_0154A11: 武藏國多摩郡府中關上山般若院彌勤寺新義眞言宗府中妙光院末
J20_0154A12: 舊地の邊の塚より堀出たる斷碑
J20_0154A13: 津戸勘解由左衞 延文五年七月十日子刻死去沙彌道繼 門尉菅原規繼
J20_0154A14: 長サ二尺餘巾一尺三寸厚一寸五分是爲守が子孫なり
J20_0154B15: 天照大神 忍穗耳尊 天穗日尊
J20_0154B16: 天穗日命十四世孫野見宿禰
J20_0154B17: 垂仁帝五十二年始土師の姓を賜り土師十一世之孫古
J20_0154B18: 人は土師の連宇合之男也人皇五十代桓武天皇天應元
J20_0154B19: 年土師古人大和國菅原に住す依居地の名菅原の姓を
J20_0154B20: 賜ふ
J20_0154B21: 菅原淸公 古人之男三位
J20_0154B22: 菅原是善 淸公之男從三位參議
J20_0154B23: 菅原道眞 是善之男從二位右大臣
J20_0154B24: 延喜元年筑紫太宰府左遷 同三年二月廿五日於太
J20_0154B25: 宰府死去御年五十九歳 正曆四年五月廿日正一位
J20_0154B26: 太政大臣を賜 天曆九年三月 天滿天神宮を賜左遷
J20_0154B27: の時は右大臣の官を止められ延喜九年元の右大臣に歸し正二位を賜はる
J20_0154B28: 菅原高視 道眞之男右大辨 延喜元年十佐權守左遷
J20_0154B29: 菅原雅規 高規之男從四位右大辨
J20_0154B30: 菅原資忠 雅規之男從四位上
J20_0154B31: 菅原孝標 資忠之男從四位上文章博士

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