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J2940 瀧山大善寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0155A01: 常陸守に任し東國に下向す時に武總國總追捕使秩
J20_0155A02: 父權守平重綱が娘に嫁して一子を産む爲廣これな
J20_0155A03:
J20_0155A04: 津戸次郞爲廣 父孝標歸國ののち外祖父重綱が許に
J20_0155A05: て人となり信州筑摩郡津戸郷に居住すこれより津
J20_0155A06: 戸と云
J20_0155A07: 津戸三郞爲守 爲廣三男武州に居住す治承四年八月
J20_0155A08: 右大將の幕下に屬し石橋山及安房國にて戰功あり
J20_0155A09: 建久六年三月東大寺供養の時上洛に供奉し黑谷へ
J20_0155A10: 立越源空の弟子となり年三十三后元久三年四月廿
J20_0155A11: 五日于時實朝公信濃前司行光が奉行にて下さるる御敎
J20_0155A12: 書に津戸郷の内念佛所を建立し一向專修の輩御尋
J20_0155A13: あり右府于時薨逝二品尼の御計らひにて御遺骨を
J20_0155A14: 納む此時剃髮許容あり法名尊願尊願の名は源空に
J20_0155A15: 謁せし時より也しかれども剃髮の免許なき故知る
J20_0155A16: 人なし悉く尊願の事は上人の御傳記を拜見して知
J20_0155A17: るべし彌稱名の外他事なし寬元改元正月十五日年
J20_0155B18: 八十自害往生
J20_0155B19: 信州筑摩郡の内古馬屋村耳塚村に何も津戸居住
J20_0155B20: の舊地現在せり念佛所の事は未詳
J20_0155B21: 民部大夫守朝 爲守男
J20_0155B22: 津戸郷は信州筑摩郡の内にありて津戸の舊跡あり
J20_0155B23: 然るに武州谷保村天滿宮の邊に津戸屋敷又津戸淵
J20_0155B24: などいへる舊地骨塚といへるは實朝公の御骨を埋
J20_0155B25: めたるにや殊に翼賛行狀には武藏國の御家人とあ
J20_0155B26: り別當安樂寺の什物に爲守の藥師如來立像等あり
J20_0155B27: 彼寺の本尊血文の阿彌陀如來は尊願自害ありて血
J20_0155B28: をもつて文をかき古郷の妻子へ送られしなど考る
J20_0155B29: に上洛の下向已來信州津戸卿に念佛所を建立せし
J20_0155B30: か御敎書等の文を考疑ふ所にあらず武州は子息民
J20_0155B31: 部守朝母子を養育して父の跡相續せしならむ此説
J20_0155B32: 詳ならす守朝已來津戸山城守北條の幕下に屬し其
J20_0155B33: 男山城御當家へ被召出たり守朝より山城守爲長ま
J20_0155B34: ては年曆不相知血脉は不絶

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