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J2940 瀧山大善寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0153A01: つ荼毘の庭にいたるまで其匂ひ猶消ざりけり下略
J20_0153A02: 同翼賛遺事云谷保村といふ所に津戸淵と云あり今
J20_0153A03: は田地となりて只其名を殘せり又安樂寺より西南
J20_0153A04: 四五町許に當て津戸屋敷といふもありて今其基趾
J20_0153A05: を殘せり
J20_0153A06: 或云信州筑摩郡の内に津戸郷見えすされとも法然
J20_0153A07: 上人傳記にも右の地名しるしあるゆへ此家にても
J20_0153A08: 斯は唱へ來りし事なるへし信府統記又は信濃地名
J20_0153A09: 考にも見えす又一説には筑摩郡松川村の邊に津戸
J20_0153A10: 郷あるよしをいへとも今は悉く原野の地なり
J20_0153A11: 武藏國多摩郡谷保村梅香山松壽院安樂寺天台宗淨土寺末
J20_0153A12: 尊血文阿彌陀如來木座像一尺五寸法然上人作御腹内に文の
J20_0153A13: やふれたる紙二十枚ばかりあり皆朽壞れて今は文
J20_0153A14: 字もみえす爲守京都にて腹を切其血をもて古郷の
J20_0153A15: 妻子の方へ文書を書て送りたる文なりと云
J20_0153A16: 又云養和元年辛丑津戸三郞爲守津戸二郞爲廣の三男也靈夢に依
J20_0153A17: て社を今の所に建立す天滿宮なり爲守か宅より丑寅
J20_0153B18: に當る是靈夢に依てなり同六坊をも建立す所謂梅
J20_0153B19: 本坊松本坊櫻本坊邑盛坊尊住坊瀧の坊なり其時の
J20_0153B20: 安樂寺住僧は文盛阿闍梨と號す
J20_0153B21: 又云本尊無量壽佛を法然上人の作津戸三郞爲守洛
J20_0153B22: 陽新黑谷に於て法然上人に逢奉り發心して蓮實と
J20_0153B23: 改名す其後彌陀の名號をとなへ自害して往生す上
J20_0153B24: 人蓮實が修念を感じたまひみづから無量壽如來を
J20_0153B25: 刻み玉ひ爲守常に信じ奉りし守本尊舍利作の如意
J20_0153B26: 輪觀音並方寸の藥師如來十二神將ともに彌陀の御
J20_0153B27: 腹に納たまひ末期に血にて書ける古郷への文を相
J20_0153B28: 添此所へ送り給ひぬ血文の彌陀と申傳
J20_0153B29: 津戸新民部丞爲忠 爲守子守朝の男
J20_0153B30: 東鑑四十八云正喜二年戊午正月大一日境飯兩國司
J20_0153B31: 被候大庇其外着坐于庭上東西云云津戸新民部
J20_0153B32: 云云
J20_0153B33: 花營三代記云應安二年正月十日の下孔子津戸左近
J20_0153B34: 將監同五年又同人

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