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J2940 瀧山大善寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0151A01: 大師傳廿八二武藏國の御家人津戸三郞爲守は生年
J20_0151A02: 十八歳にして治承四年八月に幕下將軍兵衞佐石橋
J20_0151A03: 山の合〓に武藏國より馳參じて後安房國を越給ひ
J20_0151A04: しにも同じくあひ隨ひ所所の合戰に忠を致し名を
J20_0151A05: 揚げずといふ事なし建久六年二月東大寺供養のた
J20_0151A06: めに幕下上洛の事ありき爲守生年三十三にて供奉
J20_0151A07: したりけるが三月四日入洛し同廿一日上人の庵室
J20_0151A08: に參りて合戰度度の罪を懺悔し念佛往生の道を承
J20_0151A09: りてのちは但信稱名の行者となりにければ本國に
J20_0151A10: 下りても怠らす或人熊谷入道津戸の三郞は無智の
J20_0151A11: 者にて餘行かなひがたければこそ念佛はかりをば
J20_0151A12: すすめ給ふらめ有智の人には必しも念佛に限るべ
J20_0151A13: からずと申けるを爲守傳へ聞て上人に尋ね申ける
J20_0151A14: ついでに條條の不審を申入ける下略
J20_0151A15: 又云津戸三郞上人の門弟淨勝房唯願房等の僧衆少
J20_0151A16: 少申下して念佛の先達として不斷念佛を始め行ひ
J20_0151A17: けるを爲守聖道の諸宗を謗し專修念佛を興するよ
J20_0151B18: し元久二年の秋比征夷將軍右大臣實朝公にあらぬさまに
J20_0151B19: 讒し申者有て下略
J20_0151B20: 又云建保七年正月右府薨逝の時二品禪尼の御はか
J20_0151B21: らひとして彼御骨を此所へわたし奉られけれは偏
J20_0151B22: にかの御菩提をそ弔ひ申ける出家の本意をとけば
J20_0151B23: やと思ひけるに關東の免許なかりければ在俗の形
J20_0151B24: ながら法名をつき戒をうけ袈裟をたもつべきよし
J20_0151B25: 上人のぞみ申入ければ其志を哀みて寬印供奉のか
J20_0151B26: かれたる戒本十重禁の次第並に上人の抄記の三聚
J20_0151B27: 淨戒のむねなどしるし下され又袈裟を遣し尊願と
J20_0151B28: いふ法名を下されにけり中略仁治三年十月廿八日
J20_0151B29: より三七日の如法念佛をはじめ十一月十八日結願
J20_0151B30: の夜半に道塲にして高聲に念佛し自ら腹を切て五
J20_0151B31: 臟六腑を取り出し練の大口に包みて忍びうらの河
J20_0151B32: に捨させにけり夜陰の事なれば人更に是をしらす
J20_0151B33: 其後僧衆にむかひて加樣に出家籠居して大臣殿の
J20_0151B34: 御菩提を吊ひ申につけても主君の御名殘も戀しく

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