浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0123A01: | して濱名をは刑せらるべしと讒訴しけれは修理太夫 |
J20_0123A02: | えより狐疑の心ある質性なれは默許しひそかに約を |
J20_0123A03: | ※※※※※※し因幡政仲を誅戮ありこの事いつとなく師の耳に |
J20_0123A04: | 入りしかは師大に歎息し死生は命にありさりとも城 |
J20_0123A05: | 主の重身として食言の妄政は賴みなき致され方なり |
J20_0123A06: | かかる城邊に居住して一飯の養身も三寶に怖ありと |
J20_0123A07: | 三衣一鉢にて潜かに遁れ出下妻郷をはなれ中島村に |
J20_0123A08: | 至り草庵を結び棲居し淨業を精修せらるここに結城 |
J20_0123A09: | 城主晴朝の聟君は源家の御二男にましまし民を撫武 |
J20_0123A10: | を勵されしに文祿三年甲午十一月宰相秀康卿御息女 |
J20_0123A11: | 松姬君早逝あり卿の云結城家は代代禪曹洞の家なれ |
J20_0123A12: | は予に於てはともかくも今小女は源大君の御長孫若 |
J20_0123A13: | 男子にあらば家督たるべきなりしからば實家の宗門 |
J20_0123A14: | 三州以來の同宗に葬禮廻向あらは先祖へ追孝子孫へ |
J20_0123A15: | 例鑑たるべし近隣に德名の高僧やあると尋ねられし |
J20_0123A16: | 時多賀谷氏進出中島村の存把德長慇重の者なり彼我 |
J20_0123A17: | ために伽藍を燒れ我城下に來住の時濱名が命乞あり |
J20_0123B18: | 皆義を守れるの甚しきなり我濱名を誅せしは政事の |
J20_0123B19: | いたす所かれ我城下を去りしは淸潔のなす所凡近隣 |
J20_0123B20: | 諸宗の僧中にかかる淸操の德匠は有るべからずと委 |
J20_0123B21: | しく語られける |
J20_0123B22: | 多賀谷は結城の一族先祖金子十郞家忠なり近世結 |
J20_0123B23: | 城の同流となり藩老の上席として所領數萬貫を領 |
J20_0123B24: | す一説に秀康卿淨家ともかぎるべからざれどかね |
J20_0123B25: | て濱名が一事の後師の義心深く淸貧閑修をひそか |
J20_0123B26: | に聞達ありて當時諸宗の僧檀家にへつらひ梵行を |
J20_0123B27: | 修せざるをうとみおはせしかば師をまねかれける |
J20_0123B28: | に先祖の宗門たるに事をよせ養家の菩提所をはし |
J20_0123B29: | め言の別になからん爲に師をまねかれしと也 |
J20_0123B30: | 則飯田加賀守を使者とし師をまねかれ息女の下炬導 |
J20_0123B31: | 師を命ぜらる師松樹院梅心芳熏大童女と諡つけいと |
J20_0123B32: | ねもころに法會をひらき中陰の吊薦あり宰相猶師の |
J20_0123B33: | 道胞絶倫淸修梵行をよみせられ同四年乙未春香火の |
J20_0123B34: | 地に擬し一宇を造立せられん事を師に請問あり師云 |