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J2930 結城弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0123A01: して濱名をは刑せらるべしと讒訴しけれは修理太夫
J20_0123A02: えより狐疑の心ある質性なれは默許しひそかに約を
J20_0123A03: ※※※※※※し因幡政仲を誅戮ありこの事いつとなく師の耳に
J20_0123A04: 入りしかは師大に歎息し死生は命にありさりとも城
J20_0123A05: 主の重身として食言の妄政は賴みなき致され方なり
J20_0123A06: かかる城邊に居住して一飯の養身も三寶に怖ありと
J20_0123A07: 三衣一鉢にて潜かに遁れ出下妻郷をはなれ中島村に
J20_0123A08: 至り草庵を結び棲居し淨業を精修せらるここに結城
J20_0123A09: 城主晴朝の聟君は源家の御二男にましまし民を撫武
J20_0123A10: を勵されしに文祿三年甲午十一月宰相秀康卿御息女
J20_0123A11: 松姬君早逝あり卿の云結城家は代代禪曹洞の家なれ
J20_0123A12: は予に於てはともかくも今小女は源大君の御長孫若
J20_0123A13: 男子にあらば家督たるべきなりしからば實家の宗門
J20_0123A14: 三州以來の同宗に葬禮廻向あらは先祖へ追孝子孫へ
J20_0123A15: 例鑑たるべし近隣に德名の高僧やあると尋ねられし
J20_0123A16: 時多賀谷氏進出中島村の存把德長慇重の者なり彼我
J20_0123A17: ために伽藍を燒れ我城下に來住の時濱名が命乞あり
J20_0123B18: 皆義を守れるの甚しきなり我濱名を誅せしは政事の
J20_0123B19: いたす所かれ我城下を去りしは淸潔のなす所凡近隣
J20_0123B20: 諸宗の僧中にかかる淸操の德匠は有るべからずと委
J20_0123B21: しく語られける
J20_0123B22: 多賀谷は結城の一族先祖金子十郞家忠なり近世結
J20_0123B23: 城の同流となり藩老の上席として所領數萬貫を領
J20_0123B24: す一説に秀康卿淨家ともかぎるべからざれどかね
J20_0123B25: て濱名が一事の後師の義心深く淸貧閑修をひそか
J20_0123B26: に聞達ありて當時諸宗の僧檀家にへつらひ梵行を
J20_0123B27: 修せざるをうとみおはせしかば師をまねかれける
J20_0123B28: に先祖の宗門たるに事をよせ養家の菩提所をはし
J20_0123B29: め言の別になからん爲に師をまねかれしと也
J20_0123B30: 則飯田加賀守を使者とし師をまねかれ息女の下炬導
J20_0123B31: 師を命ぜらる師松樹院梅心芳熏大童女と諡つけいと
J20_0123B32: ねもころに法會をひらき中陰の吊薦あり宰相猶師の
J20_0123B33: 道胞絶倫淸修梵行をよみせられ同四年乙未春香火の
J20_0123B34: 地に擬し一宇を造立せられん事を師に請問あり師云

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