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J2930 結城弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0122A01: 檀林結城弘經寺志
J20_0122A02:
J20_0122A03: 目 次
J20_0122A04: 當山起原 堂閣縱橫 什器傳來 寺錄前後
J20_0122A05: 累代列名 多賀谷系 結城家系 在席傳燈
J20_0122A06: 末流遠近
J20_0122A07: 御朱印五十石 下總國結城郡結城壽龜山楞嚴院弘經寺
J20_0122A08: 當山起原
J20_0122A09: 飯沼第九世存把上人彼山在住の日小田原城主北條氏
J20_0122A10: 下妻城主多賀谷氏と合戰の時大衆一同多賀谷氏の誘
J20_0122A11: 賴に催され及戰時東國戰記ニ委詳爲兵火燒拂れしかは縁出飯沼下
J20_0122A12: 師并に闔山衆笈負逃去下妻郷に至れり元より城主多
J20_0122A13: 賀谷修理太夫は師の檀越と云ふ殊に此度陣所より數
J20_0122A14: 代の堂閣一山燒亡の事につき終に於此地一宇建立し
J20_0122A15: かの飯沼弘經寺に擬し今下妻大町圓福寺金輪寺は弘經寺の舊跡なり師を安住せ
J20_0122A16: しめられしかは徒伴座下にありて法問論義あり藩中
J20_0122A17: の諸士も又會に列れるもの多し或日藩臣濱名因幡政
J20_0122B18: 仲犯重科將に死刑に罹らむとす因幡自ら自殺せんと
J20_0122B19: しその家臣中島八右衞門をして代十念を上人に乞ひ
J20_0122B20: 後生の冥資となさんとす師つらつら其罪科の輕重こ
J20_0122B21: れを聞きて頻に哀憐悲泣し濱名氏の助命を乞れん爲
J20_0122B22: め城に至りて多賀谷氏に對し今四方敵の中なるに味
J20_0122B23: 方の家長を失ふ事無得と云ふべし敵の爲には千卒と
J20_0122B24: いへとも惜むへからざるべけれどもただ寬宥の心な
J20_0122B25: くして耳目股肱の臣を失はんは殘り多き事なり况や
J20_0122B26: 生を惜むは鬼畜にも及ぶべしと苦心諫願ありしかば
J20_0122B27: 城主大に感し師の德重救念の深きなどか承敬せざら
J20_0122B28: んと實に助命難しと雖嚴科を宥免するも自らが心次
J20_0122B29: 第なりと有しかは師歡喜歸寺有しに其後濱名と腹あ
J20_0122B30: しき者ども數人申合せ又同し藩より數人主將の前に
J20_0122B31: 至り釋徒の身として斯る罪科のものをも乞うけなは
J20_0122B32: 何を以てか味方の士の賞貶を定めんや何れにか賞罸
J20_0122B33: の利非をたたん若し濱名が罪𠍴をゆるしなば後又例
J20_0122B34: となりて國政如何成行んしかじ存把にはかくし告ず

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