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J2910 生実大巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0092A01: ○三蓮社觀譽は播磨國人生實の傳法を慕仰し千里獨
J20_0092A02: 行し六七年止錫修學し道譽上人より傳法印可をうけ
J20_0092A03: 歸國ののち姬路に心光寺をひらく
J20_0092A04: 當寺黑田美濃守位牌所として所所に隨逐し池田輝
J20_0092A05: 政當城在治の時町割によりて城内より今の地に移
J20_0092A06:
J20_0092A07: 又因州に下り天正の末當國三木心光をひらき慶長十
J20_0092A08: 六年六月因州にて沒と云
J20_0092A09: ○日蓮社增譽快應は下總國滿喜人齋藤氏生實に在學
J20_0092A10: 留錫し安譽虎角公の兩脉璽書を得慶長五年福島左衞
J20_0092A11: 門大夫正則歸依によりて菩提所として廣島に海雲山
J20_0092A12: 來迎寺妙慶院を開建ありて寺領二百石を寄附せらる
J20_0092A13: 退國闕城の時無縁地と成しゆへ元和五年當地を退去
J20_0092A14: し京に至り智惠光院に住しかの所に終
J20_0092A15: ○德蓮社本譽太岩愚闇は上總國富津人同國木更津選
J20_0092A16: 擇寺に入讚譽大道弟子となり生實に修學し靈巖公よ
J20_0092A17: り傳授附法近江國膳所縁心寺に住職す當寺住の内伊
J20_0092B18: 勢國鈴鹿郡住山村に德本山太岩寺を中興す始行基大士開基
J20_0092B19: 文七年四月六日寂六十四才
J20_0092B20: ○專蓮社稱譽萬休西念は謙倉人足利家末葉と云生實
J20_0092B21: にて修學熟練せらる寺記には義輝將軍末葉としてのち自筆裏判の一枚起請ありと云
J20_0092B22: 按るに生實御所義明卿の末胤なるべし義輝卿の末
J20_0092B23: 裔とせは時代も同時なれは末裔とはいふへからず
J20_0092B24: 又鎌倉の出生なるべからずされは義明朝臣なるへ
J20_0092B25: しかの一枚起請も義明なるへし然れども一族たる
J20_0092B26: のゆへ義輝卿讓與し給へるにや
J20_0092B27: 博學のみならす專稱名號の行者なれば諸國をめぐり
J20_0092B28: て利他の功成を專らとせらる永祿二年近江國志賀郡
J20_0092B29: 大津に旭高山幻中院華階寺を開基あり又同所に松溪
J20_0092B30: 山幻案寺を創立し又膳所別保村に西念寺を起建あり
J20_0092B31: 世中を夢幻に觀して後生菩提の資糧を專らとせられ
J20_0092B32: し事知べし天正四年六月六日華階寺にて滅す七十一
J20_0092B33:
J20_0092B34: ○慶蓮社逞譽祖的は甲州人武田一族なり生實に下着

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