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J2910 生実大巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0090A01: て松見山寶相院大乘寺を建後中寺町生玉へ所がえと成同二年四月十
J20_0090A02: 一日寂七十二才
J20_0090A03: ○應蓮社顯譽魯道泰純は大阪寶泉寺願譽の弟子にて
J20_0090A04: 生實に下り安譽上人の坐下に修學する事數年學解日
J20_0090A05: 日に長し同學ことことく伏す後歸國し堺宗泉寺に住
J20_0090A06: し文祿三年大阪備後町四丁目に建立す然るに近隣よ
J20_0090A07: り地所をちぢめければ駿府へ下向し言上に及びけれ
J20_0090A08: ば小出播磨守へ御書付下置れ鞴町にて大屋敷を給へ
J20_0090A09: り其後御上洛ましましければ御禮御目見あり其のち
J20_0090A10: 京淨福寺淨譽上人花頂山に昇轉の時德行純固たるに
J20_0090A11: よりてかの寺の補處として第四世たり寬永九年八月
J20_0090A12: 十七日入寂
J20_0090A13: ○源蓮社秀譽頑石含岌は鎌倉人生實道譽上人の弟子
J20_0090A14: として久隨怠りなし後鎌倉に幹事をつとめ寺務を補
J20_0090A15: 佐する事數年かつて瀧山にて一夏法幢の時大善寺號
J20_0090A16: にて綸旨頂戴ありそののの諸國遊歷の時大津にある
J20_0090A17: 時花頂山主滿譽上人の命によりて花階寺に住持す又
J20_0090B18: 大阪に下り八丁目大通寺に住務し別檀の請によりて
J20_0090B19: 慶長年中夷島に安養山報土院西往寺を建開す又京に
J20_0090B20: 至りて四條寺町西念寺を重興し大宮五條の西往寺を
J20_0090B21: 閑居の地とすここにて大阪の寺名を用らるつひに五
J20_0090B22: 條鹽かま町上總寺に隱住し寬永七年十二月八日寂す
J20_0090B23: ○鏡蓮社專譽流念は越前國人遙に道譽上人の德學を
J20_0090B24: したひて生實に至り道譽上人の座下に居る事十餘年
J20_0090B25: 附法傳受相すみて諸國の靈塲に詣時天正十八年攝津
J20_0090B26: 國島下郡安威庄に安威山善峰院大念寺を中興あり當
J20_0090B27: 寺は藤原氏曩祖鎌足公の舊跡なり
J20_0090B28: 當寺記云鎌足公は天智天皇八年十月十六日薨去御
J20_0090B29: 遺骸は奉納岩窟將軍塚と名五問計竪橫一間半御廟
J20_0090B30: 今に有之其節佛閣多建營長子定惠有歸朝唐朝任靈
J20_0090B31: 夢定惠與徒屬上安威山先公取遺骸改葬多武峯當所
J20_0090B32: 墳破壞之
J20_0090B33: 其後同郡桑原村に至り桑原山惠日院地福寺を建立あ
J20_0090B34: り此時當山にて一夏〓旬維摩經讀誦し毎日東山に向

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