浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0089A01: | 傳法嗣承し歸國せし時大阪兩度の亂に師跡退轉せし |
J20_0089A02: | かは西興寺を再興し始同所德淸山玉圓寺を再興あり |
J20_0089A03: | 京專稱寺住次に大阪淨國寺を再興し文祿中同所に常 |
J20_0089A04: | 照山大光寺を起立す又堺遍照寺を中興し旭蓮社專修 |
J20_0089A05: | 寺等を兼帶し大阪圓通寺岸和田光明寺を再興し堺淨 |
J20_0089A06: | 源寺宗宅寺等を中興す寬永十八年十月十二日化七十 |
J20_0089A07: | 九才 |
J20_0089A08: | ○稱蓮社專譽孤舟は堺寶樹寺然譽の弟子なり生實 |
J20_0089A09: | に入虎角公の學指をうけ在山十餘年後歸國し正福寺 |
J20_0089A10: | の荒廢を再興し元和六年二月廿九日死す |
J20_0089A11: | ○崇蓮社玄譽傳可は河内國人三好氏當國佐野上善寺 |
J20_0089A12: | にいり純譽の弟子となり生實にいり安譽公の弟子と |
J20_0089A13: | なり附法傳受居學十餘年歸國後慶長七年日根郡中庄 |
J20_0089A14: | に己心山佛性院大光寺を開基す道德殊勝門徒歸集し |
J20_0089A15: | 末宇廿七院に及ふ今廿四ケ寺 |
J20_0089A16: | ○辨譽立定は大和國矢戸村人五井稱名院にいり德譽 |
J20_0089A17: | の弟子となり生實に入修學十餘年の間默直溫順なり |
J20_0089B18: | しかば寺主森譽弟子として敎諭他に異也後歸國し廣 |
J20_0089B19: | 瀨郡池尻村に安樂寺をたて平生麁衣麁食し常行三昩 |
J20_0089B20: | の外他事をはなれ偏に出離生死の道をいそく延寶四 |
J20_0089B21: | 年七月三日死す |
J20_0089B22: | ○乘蓮社鏡譽周頓は尾張國人にて犬山專念寺に入周 |
J20_0089B23: | 庭の弟子となり生實に下向し道譽上人に宗門の兩脉 |
J20_0089B24: | を禀承す其のち諸國を行脚勸化し永祿四年五月二十 |
J20_0089B25: | 九日大和國添下郡小泉村にて城主寶岸院縁譽重順大 |
J20_0089B26: | 居士の菩提の爲に一宇を建立し位牌を安置し龍泉山 |
J20_0089B27: | 寶岸院善福寺と名く天正中同郡山郷に登天山龍岩寺 |
J20_0089B28: | を開興す元和九年十月廿八日圓寂す |
J20_0089B29: | 當寺河中寺と云河涯際に有し故也宗旨不定なりし |
J20_0089B30: | 遠國より來住の僧遊住互に住せしを師淨家に改め |
J20_0089B31: | 定めしなり |
J20_0089B32: | ○生蓮社往譽廓岌は近江國淺井郡人生實にいたり道 |
J20_0089B33: | 譽上人に附法相續しそののち大和國吉野郷丹治村に |
J20_0089B34: | 玉峯山三佛院金龍寺を再興し慶長元年大阪淡路町に |