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J2910 生実大巌寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0089A01: 傳法嗣承し歸國せし時大阪兩度の亂に師跡退轉せし
J20_0089A02: かは西興寺を再興し始同所德淸山玉圓寺を再興あり
J20_0089A03: 京專稱寺住次に大阪淨國寺を再興し文祿中同所に常
J20_0089A04: 照山大光寺を起立す又堺遍照寺を中興し旭蓮社專修
J20_0089A05: 寺等を兼帶し大阪圓通寺岸和田光明寺を再興し堺淨
J20_0089A06: 源寺宗宅寺等を中興す寬永十八年十月十二日化七十
J20_0089A07: 九才
J20_0089A08: ○稱蓮社專譽孤舟は堺寶樹寺然譽の弟子なり生實
J20_0089A09: に入虎角公の學指をうけ在山十餘年後歸國し正福寺
J20_0089A10: の荒廢を再興し元和六年二月廿九日死す
J20_0089A11: ○崇蓮社玄譽傳可は河内國人三好氏當國佐野上善寺
J20_0089A12: にいり純譽の弟子となり生實にいり安譽公の弟子と
J20_0089A13: なり附法傳受居學十餘年歸國後慶長七年日根郡中庄
J20_0089A14: に己心山佛性院大光寺を開基す道德殊勝門徒歸集し
J20_0089A15: 末宇廿七院に及ふ今廿四ケ寺
J20_0089A16: ○辨譽立定は大和國矢戸村人五井稱名院にいり德譽
J20_0089A17: の弟子となり生實に入修學十餘年の間默直溫順なり
J20_0089B18: しかば寺主森譽弟子として敎諭他に異也後歸國し廣
J20_0089B19: 瀨郡池尻村に安樂寺をたて平生麁衣麁食し常行三昩
J20_0089B20: の外他事をはなれ偏に出離生死の道をいそく延寶四
J20_0089B21: 年七月三日死す
J20_0089B22: ○乘蓮社鏡譽周頓は尾張國人にて犬山專念寺に入周
J20_0089B23: 庭の弟子となり生實に下向し道譽上人に宗門の兩脉
J20_0089B24: を禀承す其のち諸國を行脚勸化し永祿四年五月二十
J20_0089B25: 九日大和國添下郡小泉村にて城主寶岸院縁譽重順大
J20_0089B26: 居士の菩提の爲に一宇を建立し位牌を安置し龍泉山
J20_0089B27: 寶岸院善福寺と名く天正中同郡山郷に登天山龍岩寺
J20_0089B28: を開興す元和九年十月廿八日圓寂す
J20_0089B29: 當寺河中寺と云河涯際に有し故也宗旨不定なりし
J20_0089B30: 遠國より來住の僧遊住互に住せしを師淨家に改め
J20_0089B31: 定めしなり
J20_0089B32: ○生蓮社往譽廓岌は近江國淺井郡人生實にいたり道
J20_0089B33: 譽上人に附法相續しそののち大和國吉野郷丹治村に
J20_0089B34: 玉峯山三佛院金龍寺を再興し慶長元年大阪淡路町に

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