浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0004A01: | 次延寶二甲寅八月十三世念譽林冏代御普請奉行忍 |
J20_0004A02: | 城主阿部播磨守正能 |
J20_0004A03: | 次元祿十一戊寅九月二十世晃譽了山代御普請奉行 |
J20_0004A04: | 伊勢崎城主酒井下野守忠寬 |
J20_0004A05: | 境中靈名 |
J20_0004A06: | 開山呑龍上人塔 開祖臨滅の時門弟子に告云吾滅後 |
J20_0004A07: | 汝等遺骸を荼毘する事なかれ東面し御廟の南の傍 |
J20_0004A08: | に葬るへし吾今より寺門を安鎭し學徒を護念し又 |
J20_0004A09: | 廟前にねぎごとせる者には必心願成就せしむべし |
J20_0004A10: | と是に於て遺命により玆すと云 |
J20_0004A11: | 中條出羽守塔 天正年中金山合戰の時討手一方の大 |
J20_0004A12: | 將也出老談記故玆略 |
J20_0004A13: | 義重山 東は天神山及び母衣輪熊野神藏等の連山嶺 |
J20_0004A14: | より相別東は他領西は自領すべて領内山の惣名な |
J20_0004A15: | り慶長中始めて當山に屬せし故山號とす |
J20_0004A16: | 金山 城山とも云新田山の別名なり其峰參差として |
J20_0004A17: | 數峰に別れ其麓回曲として諸村に跨る周匝凡三里 |
J20_0004B18: | 半餘別峰頗多し當山も亦其一峯なり里老が口碑に |
J20_0004B19: | 斯山の神秀無欲の里童廉直の郷翁まま夜陰に此山 |
J20_0004B20: | 中より金光飛出るを見る時來らば黄金を出すへき |
J20_0004B21: | か又一説に此山古へより金山彥の神鎭守なり今神 |
J20_0004B22: | 社は富士の麓にあり |
J20_0004B23: | 城山 金山の別名なり新田の末葉由良氏の城郭にて |
J20_0004B24: | 周匝大凡三里半餘里人本城の迹を御城と稱し又實 |
J20_0004B25: | 城とも云由良軍記上老談記等に出つ三家考畧之 |
J20_0004B26: | 觀音山 救世山とも云古より山上に觀音の石像あり |
J20_0004B27: | て歳月既古り風霜しばしば冐し石像倒れんとす故 |
J20_0004B28: | に當山二十二世松譽上人小堂を創立し惠心僧都彫 |
J20_0004B29: | 刻の觀音の像を安置し石像を堂下の土中に〓地鎭 |
J20_0004B30: | とす傍に草庵を給び松響庵と名く供僧獨居す庵主 |
J20_0004B31: | 曰元祿元年頃眞言宗沙門行觀法師下野國より當郡 |
J20_0004B32: | に來住す此沙門篤く觀音を信し上野一國に觀音示 |
J20_0004B33: | 現の靈地三十三ケ所を撰取路程を料り巡禮の次を |
J20_0004B34: | なし西國坂東の札所になぞらふ當堂は即ち其第二 |