ウィンドウを閉じる

J2880 新田大光院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J20_0004A01: 次延寶二甲寅八月十三世念譽林冏代御普請奉行忍
J20_0004A02: 城主阿部播磨守正能
J20_0004A03: 次元祿十一戊寅九月二十世晃譽了山代御普請奉行
J20_0004A04: 伊勢崎城主酒井下野守忠寬
J20_0004A05: 境中靈名
J20_0004A06: 開山呑龍上人塔 開祖臨滅の時門弟子に告云吾滅後
J20_0004A07: 汝等遺骸を荼毘する事なかれ東面し御廟の南の傍
J20_0004A08: に葬るへし吾今より寺門を安鎭し學徒を護念し又
J20_0004A09: 廟前にねぎごとせる者には必心願成就せしむべし
J20_0004A10: と是に於て遺命により玆すと云
J20_0004A11: 中條出羽守塔 天正年中金山合戰の時討手一方の大
J20_0004A12: 將也出老談記故玆略
J20_0004A13: 義重山 東は天神山及び母衣輪熊野神藏等の連山嶺
J20_0004A14: より相別東は他領西は自領すべて領内山の惣名な
J20_0004A15: り慶長中始めて當山に屬せし故山號とす
J20_0004A16: 金山 城山とも云新田山の別名なり其峰參差として
J20_0004A17: 數峰に別れ其麓回曲として諸村に跨る周匝凡三里
J20_0004B18: 半餘別峰頗多し當山も亦其一峯なり里老が口碑に
J20_0004B19: 斯山の神秀無欲の里童廉直の郷翁まま夜陰に此山
J20_0004B20: 中より金光飛出るを見る時來らば黄金を出すへき
J20_0004B21: か又一説に此山古へより金山彥の神鎭守なり今神
J20_0004B22: 社は富士の麓にあり
J20_0004B23: 城山 金山の別名なり新田の末葉由良氏の城郭にて
J20_0004B24: 周匝大凡三里半餘里人本城の迹を御城と稱し又實
J20_0004B25: 城とも云由良軍記上老談記等に出つ三家考畧之
J20_0004B26: 觀音山 救世山とも云古より山上に觀音の石像あり
J20_0004B27: て歳月既古り風霜しばしば冐し石像倒れんとす故
J20_0004B28: に當山二十二世松譽上人小堂を創立し惠心僧都彫
J20_0004B29: 刻の觀音の像を安置し石像を堂下の土中に〓地鎭
J20_0004B30: とす傍に草庵を給び松響庵と名く供僧獨居す庵主
J20_0004B31: 曰元祿元年頃眞言宗沙門行觀法師下野國より當郡
J20_0004B32: に來住す此沙門篤く觀音を信し上野一國に觀音示
J20_0004B33: 現の靈地三十三ケ所を撰取路程を料り巡禮の次を
J20_0004B34: なし西國坂東の札所になぞらふ當堂は即ち其第二

ウィンドウを閉じる