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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0829A01: 年歸國ののち石見國西福寺に住し又數ケ寺を起立す
J19_0829A02: 初花頂山貫主滿譽尊照大僧正本山御住職御延引に付
J19_0829A03: 石見國に趣き暫時西福寺に入らせらるる時天譽は生
J19_0829A04: 實にて同時同學の御好身ありけれは此時隨身あるの
J19_0829A05: 節俄に勅請により參内の上本山住務職首尾能相濟殊
J19_0829A06: に叡慮に叶はせられ御猶子にまて御嚴約あらせられ
J19_0829A07: しかは滿譽上人も本懷淺からす天譽を以勵されんた
J19_0829A08: め且は感悅の餘り御褒賞として勅筆の阿彌陀經一卷
J19_0829A09: を賜紺紙金泥二枚七行奧に西福寺と被成下扨又慶長の初同國與佐庄伊勢屋
J19_0829A10: 町に光明山大覺寺を開基す故にかの御經を石見へ歸
J19_0829A11: 國の時より一生の間隨身奉敬しつひに當寺に納む又
J19_0829A12: 彼御經の奧書に文あれとも是を略す慶長十九年寅年
J19_0829A13: 七月八日寂滅す七十三才
J19_0829A14: ○英譽誾雪は丹波國人淺井大膳亮信正入道か三男な
J19_0829A15: り落滅後故ありて京淨德院誾助の弟子となり飯沼に
J19_0829A16: 下り南譽雪念公に附法し後師跡淨德院を住持し明曆
J19_0829A17: 二申五月三日化五十九才
J19_0829B18: ○的蓮社交譽春山は越後人村上領女川村弘長寺弟子
J19_0829B19: 飯沼に止錫傳法し歸國後弘長寺を持後縁によりて羽
J19_0829B20: 州にうつり慶長九年窪田村にて安養山弘願寺を起開
J19_0829B21: し寬永六年七月十四日死
J19_0829B22: ○讃蓮社覺譽大聽は飯沼に掛錫し後羽州元米澤極樂
J19_0829B23: 寺に住し慶長十三申年
J19_0829B24: 彼地の極樂寺には米澤太守上杉定勝母月淸院の牌
J19_0829B25: を安す
J19_0829B26: 後會津若松にうつり隱退の地を求め菩提山極樂寺を
J19_0829B27: 建立す蒲生秀行臣岡氏舊好により太守に申寺地を賜
J19_0829B28: 故に舊寺の名を以す住三十年寬永十八巳三月十日往
J19_0829B29:
J19_0829B30: ○雲蓮社洞譽春虎は信濃國産なり志學の精勵飯沼に
J19_0829B31: 獨行し止山數年歸國ののち水内郡橫棚村に賴朝山靜
J19_0829B32: 松寺を中興し
J19_0829B33: 寺記云賴朝卿先世賴朝法師時六十餘州廻國修行し
J19_0829B34: 當國善光寺へ至り卒如是傳來其時の笈並守本尊阿

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