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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0828A01: 長十五年十月五日紫衣の綸旨今に有之又極樂寺へ
J19_0828A02: 再住せらる同十四年增上寺源譽上人觀智國師成の
J19_0828A03: 祝儀として石見此門中より使僧を下せし時の返狀
J19_0828A04: 今に有り又江戸御城にて日蓮宗と宗論ありて淨家
J19_0828A05: 勝利の時末代證據の爲として國師より脱却する所
J19_0828A06: の衣の切二つ當寺へ指下され今に什物とす
J19_0828A07: ○穪蓮社鎭譽正徹西堂は近江國栗太郡金勝走井村宮
J19_0828A08: 城氏子同國瀧の稱名寺觀空鐵袋の弟子飯沼に下り辨
J19_0828A09: 譽利山上人の附法となり寬文四年甲賀郡正福寺内に
J19_0828A10: 金光山無量院永岩寺を起立す元より名聞を好ます故
J19_0828A11: に綸旨をも頂戴せす同六午年十二月廿日死六十七才
J19_0828A12: ○本蓮社誓譽山秀西堂は近江國西寺村竹内氏子羽田
J19_0828A13: 光明寺寂譽の弟子として飯沼利山公の附法印可なり
J19_0828A14: 寬文五年巳春甲賀郡正福寺村に金乘山西光院淸壽寺
J19_0828A15: をたて念佛精進し同八年六月二日死五十四才
J19_0828A16: ○葉蓮社秋譽紅巠は大阪人飯沼に止錫習學し數年の
J19_0828A17: のち諸國廻國し信濃國上田領鹽田庄舞田村飯繩山法
J19_0828B18: 樹院報應寺を中興し住務二十年
J19_0828B19: 寺記云左馬頭義朝朝臣の臣澁谷金王丸當國出生也
J19_0828B20: 主君沒後賴朝卿に仕へ後落髮し土佐坊昌俊と名文
J19_0828B21: 治元年義經主を討んと上京時五條河原にて誅に伏
J19_0828B22: す其臣舞田次郞首を壓炭と成し其骨并守本尊地藏
J19_0828B23: 菩薩を當所へ持來土中に埋む當郷澁之入と云地に
J19_0828B24: 廟所今にあり是以地藏を本尊として一宇を建て金
J19_0828B25: 王寺と云後久しく無住にて永祿年中本尊假移小堂
J19_0828B26: 領主室賀入道由緖同姓甚七奉行として永祿七年再
J19_0828B27: 興し今の寺山號に改め秋譽を中興とす
J19_0828B28: 天正十一未年十一月二十五日寂
J19_0828B29: ○誦蓮社念譽了印は三河國人飯沼に修學功成て信濃
J19_0828B30: 國伊奈郡にて寬永十年駄科村高林山念通寺を起立し
J19_0828B31: 承應二年二月八日化
J19_0828B32: ○靑蓮社天譽直質は肥前國人父西川氏母は荒木氏神
J19_0828B33: 野村極樂寺辨蓮社鎭譽財天の弟子初麟哲と名く飯沼
J19_0828B34: に下向し見譽善悅上人の會下にて修功熟學す文祿元

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