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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0827A01: 正十五卯年起立且宗論勝利時四十一才靈寶多品信長公よ
J19_0827A02: り被下其中に閻魔王あり一寸八分是攝州淸澄寺慈心坊尊
J19_0827A03: 惠承安二辰年十一月廿一日頓死翌日蘇生云我依請到
J19_0827A04: 閻王宮列法華經轉讀會座退去時閻王〓施賜此像即出
J19_0827A05: 手中世傳信長公御所持賜貞安貞安弟子安譽賜令安置
J19_0827A06: 當寺下略
J19_0827A07: 此外天正中禁中説法等有之 已上勝念寺記
J19_0827A08: 右之外開基寺院雖有之粗畧之
J19_0827A09: 案るに師の姓氏兩説ありて何れと定むへからす然
J19_0827A10: れとも飯沼の所化として開基西光大雲勝念等の記
J19_0827A11: 悉く同之唯列祖傳のみ別なれは傳聞人違なるへし
J19_0827A12: 都て列祖傳惣系譜等は姓氏の事のみは殊に相違あ
J19_0827A13: りて信用にたらさる事多し
J19_0827A14: ○願譽梵無は尾張犬山人同所法船寺念譽一無弟子飯
J19_0827A15: 沼に掛錫在學し兩脈傳受ののち歸國し國士多く加州
J19_0827A16: に招かれしに約して加賀國に移り正保二酉年金澤に
J19_0827A17: 實相山弘願院を建立し承應元辰六月八日化
J19_0827B18: ○專譽良休は石見國邇摩郡銀山人波根長福寺開山三
J19_0827B19: 休上人弟子後花洛本山淸淨華院に住飯沼に下向し在學修熟す十餘
J19_0827B20: 年ののち歸國し永祿二年銀山に無量山信廣院極樂寺
J19_0827B21: を開基す元龜二未年極樂寺の勅額を賜り勅願所とな
J19_0827B22: る翌年本山淸淨華院第三十一世となり後又當寺へ再
J19_0827B23: 住あり天正十六子四月二日寂
J19_0827B24: 寺記云二世信譽良安又飯沼附法修學後本山へ移轉
J19_0827B25: 三十四代となり又當寺へ再住慶長九辰三月九日寂
J19_0827B26: 三世音譽良隨當國邇摩郡磯竹村人良安弟子飯沼
J19_0827B27: 了學上人附法初純應と云江戸御城にて不增不减の
J19_0827B28: 法問有し時了學公の伴僧に出説破ある時東照宮聞
J19_0827B29: 召れ双方押へさせられ純應弱年にて秀才の旨にて
J19_0827B30: 本國師匠世壽等まて尋させられ其上當國御代官大
J19_0827B31: 久保石見守を被召出彼を親しむへき旨仰出さる元
J19_0827B32: 和中本國に歸り極樂寺に住職の節石見守慶長中本
J19_0827B33: 國に大安寺を建立し極樂寺より兼帶住職あらしむ
J19_0827B34: 後花洛本山淸淨華院に住し三十七代となるのち慶

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