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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0824A01: へ敷地拜領す其後六ケ院は知恩院の直末となり一
J19_0824A02: ケ寺外に尼崎領に建し二寺は今も末寺なり
J19_0824A03: ○念譽信察は尾張人加賀利家卿内佛の供養僧として
J19_0824A04: そは近く召置れ天正元年宗戒二脈相傳のため遙に此
J19_0824A05: 地に下らせいく程なく歸國し其のち城主にそひ加賀
J19_0824A06: 國にうつりて天正十一年金澤にて寺地を乞ひうけ佛
J19_0824A07: 海山壽昌院法船寺をひらく元和三年八月二日寂す
J19_0824A08: ○敎蓮社聖譽退魯貞安上人は北條氏裔天文八年三月
J19_0824A09: 七日相州三浦黑沼郷に生る十一才にて同國小田原大
J19_0824A10: 蓮寺堯譽の弟子となり十四才の時堯譽飯沼へ入院に
J19_0824A11: 付入學隨從し兩脈を同山の七世見譽上人より禀承三
J19_0824A12: 十四才の時元龜三年七月三日綸旨拜戴のため上京翌
J19_0824A13: 年飯沼會下の衆頂學頭凡そ在山廿七年内外性相顯密
J19_0824A14: 聖淨の學精究せすといふ事なし三十九才の時近江の
J19_0824A15: 國伊庭の妙金剛寺に遊ふ此時招に應して織田右大臣
J19_0824A16: 殿(信長公)に謁す此のち諸所の道俗を敎化のため説法
J19_0824A17: 講釋法問論議諸所に張行し時に安土にいたりて公に
J19_0824B18: 謁し諸士の招に依て先祖の追福作善回向し又は祈願
J19_0824B19: 念誦の法則を修せられ小庵を結ひて衆人を濟度す四
J19_0824B20: 十一才の時天正七年五月廿七日安土の問答あり
J19_0824B21: 問答の事は四度宗論記。信長記。織田眞記。大閤記。
J19_0824B22: 高野山賴慶記。新著聞集。安土問答。京大雲院記等
J19_0824B23: に出
J19_0824B24: 八月二日勝利の賞として種種の珍器を賜はり又白銀
J19_0824B25: 若干同年命して安土田中に建立一宇龍龜山西光寺と
J19_0824B26: 號寺領朱印并閻魔法王の像を寄附したまふかつて公
J19_0824B27: 巡駕詣寺聞法三度故に當寺に御所間次之間等の號あ
J19_0824B28: り四十五才洛陽二條室町に大雲院を建是より兩寺兼
J19_0824B29: 帶なり四十七才天正十三年禁中にて選擇集を講談あ
J19_0824B30: り 正親町院叡感の餘り九條袈裟等を賜翌年秀吉公
J19_0824B31: 江州八幡山城を築秀次公をして居しめらるるの節命
J19_0824B32: によりて當寺を八幡山の南に移し寺領朱印門前百姓
J19_0824B33: 四十餘家同時に屬來八月八日禁中にて又説法あり翌
J19_0824B34: 日陽光院宸筆阿彌陀經純子五卷白楮十帖賜へり天正

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