浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0823A01: | 燈譽上人當山開興ののち大澤谷の轉法輪寺を再興 |
J19_0823A02: | ありかの轉法輪寺の縁起云當國大鳥郡に屬して金 |
J19_0823A03: | 剛峯第一の秘所法喜菩薩説法利生の靈塲也往年は |
J19_0823A04: | 伇小角の開基にて今より三四丁の絶頂にありて堂 |
J19_0823A05: | の跡高座石と云大石等あり皆野火に燒失し漸く本 |
J19_0823A06: | 尊彌陁佛のみを取出計にて縁起も堂上方寄合書に |
J19_0823A07: | て有しそれも燒けれは灯譽上人其山つつき橫山谷 |
J19_0823A08: | 池田谷に入群生引導あられしかは其谷谷の人民爲 |
J19_0823A09: | 報恩薪一荷つつ毎年西福寺へ年禮相勤しなり天和年中 |
J19_0823A10: | 團譽代より此事相止しとなり |
J19_0823A11: | 燈譽上人は唯學智の才俊のみならす内密の修行他の |
J19_0823A12: | はかる所にあらされは國中殘所なく施化利生あり住 |
J19_0823A13: | 吉大神の社へ百日中百首の和歌を献られ參詣の時は |
J19_0823A14: | 滿潮の時明神容姿を現し對面法樂を受られしかは灯 |
J19_0823A15: | 譽自ら尊容を畵今阿間河極樂寺にあり又百首歌の自 |
J19_0823A16: | 筆の寫は岸和田奈良屋孫七郞方にあり灯譽當國の化 |
J19_0823A17: | 益あまねしとて攝津國にうつり太田村に至り安養寺 |
J19_0823B18: | を開基し其所にて永祿二未年二月晦日入滅あり八十 |
J19_0823B19: | 八才 |
J19_0823B20: | ○圓譽は常陸國筑波郡川崎人藤田氏下總國佐倉淸光 |
J19_0823B21: | 寺弟子飯沼了學上人附法寬永中大和國大邊郡中山村 |
J19_0823B22: | 往生院念佛寺を再興す元行基大士開基本山靈岩上人代直末と |
J19_0823B23: | 成寬文十二年十月化 |
J19_0823B24: | ○心蓮社滿譽禪牛覺辨は生所詳ならす飯沼にありて |
J19_0823B25: | 修學能書の譽ありかつて貞安とともに良友として斷 |
J19_0823B26: | 金の交朋なり文祿中大阪に至り大佛頂山了義院楞嚴 |
J19_0823B27: | 寺を建立 |
J19_0823B28: | ○寂蓮社圓譽洞牛了照は鎌倉光明寺にて剃度せしか |
J19_0823B29: | と飯沼に至り道譽上人の轉下にて修學附法あり始和 |
J19_0823B30: | 泉國近木庄澤村にて淨國寺を建立し永祿三年大阪東 |
J19_0823B31: | 橫堀本町橋と濃人橋の間にて無裏山建立院淨國寺を |
J19_0823B32: | 開創す天正十年九月廿六日寂六十九歳 |
J19_0823B33: | 後順慶町筋へ移今も淨國寺町と云元和五年當寺町 |
J19_0823B34: | 改の時子院七坊ありしかと寺内狹少によりて寺外 |