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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0823A01: 燈譽上人當山開興ののち大澤谷の轉法輪寺を再興
J19_0823A02: ありかの轉法輪寺の縁起云當國大鳥郡に屬して金
J19_0823A03: 剛峯第一の秘所法喜菩薩説法利生の靈塲也往年は
J19_0823A04: 伇小角の開基にて今より三四丁の絶頂にありて堂
J19_0823A05: の跡高座石と云大石等あり皆野火に燒失し漸く本
J19_0823A06: 尊彌陁佛のみを取出計にて縁起も堂上方寄合書に
J19_0823A07: て有しそれも燒けれは灯譽上人其山つつき橫山谷
J19_0823A08: 池田谷に入群生引導あられしかは其谷谷の人民爲
J19_0823A09: 報恩薪一荷つつ毎年西福寺へ年禮相勤しなり天和年中
J19_0823A10: 團譽代より此事相止しとなり
J19_0823A11: 燈譽上人は唯學智の才俊のみならす内密の修行他の
J19_0823A12: はかる所にあらされは國中殘所なく施化利生あり住
J19_0823A13: 吉大神の社へ百日中百首の和歌を献られ參詣の時は
J19_0823A14: 滿潮の時明神容姿を現し對面法樂を受られしかは灯
J19_0823A15: 譽自ら尊容を畵今阿間河極樂寺にあり又百首歌の自
J19_0823A16: 筆の寫は岸和田奈良屋孫七郞方にあり灯譽當國の化
J19_0823A17: 益あまねしとて攝津國にうつり太田村に至り安養寺
J19_0823B18: を開基し其所にて永祿二未年二月晦日入滅あり八十
J19_0823B19: 八才
J19_0823B20: ○圓譽は常陸國筑波郡川崎人藤田氏下總國佐倉淸光
J19_0823B21: 寺弟子飯沼了學上人附法寬永中大和國大邊郡中山村
J19_0823B22: 往生院念佛寺を再興す元行基大士開基本山靈岩上人代直末と
J19_0823B23: 成寬文十二年十月化
J19_0823B24: ○心蓮社滿譽禪牛覺辨は生所詳ならす飯沼にありて
J19_0823B25: 修學能書の譽ありかつて貞安とともに良友として斷
J19_0823B26: 金の交朋なり文祿中大阪に至り大佛頂山了義院楞嚴
J19_0823B27: 寺を建立
J19_0823B28: ○寂蓮社圓譽洞牛了照は鎌倉光明寺にて剃度せしか
J19_0823B29: と飯沼に至り道譽上人の轉下にて修學附法あり始和
J19_0823B30: 泉國近木庄澤村にて淨國寺を建立し永祿三年大阪東
J19_0823B31: 橫堀本町橋と濃人橋の間にて無裏山建立院淨國寺を
J19_0823B32: 開創す天正十年九月廿六日寂六十九歳
J19_0823B33: 後順慶町筋へ移今も淨國寺町と云元和五年當寺町
J19_0823B34: 改の時子院七坊ありしかと寺内狹少によりて寺外

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