浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0822A01: | 州打入の時早速味方となりし故なりとそされは |
J19_0822A02: | 當山も其比眞敎寺のことくなさは免るへかりしを |
J19_0822A03: | 唯通途寺院の心にて獨見の取はからひありし故か |
J19_0822A04: | くのことく成行しなるへし此比は惣本山にても客 |
J19_0822A05: | 末と稱し異流本山の次席にての謁禮ありしとそ |
J19_0822A06: | 寺記又云元和元年大阪軍時も東照宮の命として當 |
J19_0822A07: | 寺の由緖かねて聞召れしかは兵火掛くへからざる |
J19_0822A08: | の間在家の屋の棟に其印を立置くへき旨又は五月 |
J19_0822A09: | の小旗等を立置と仰渡されけれは寺をはしめ檀家 |
J19_0822A10: | 迄もさに取計ひければ其印あまり夥しく相見え |
J19_0822A11: | けるにそ大野道軒春木村の百姓とも一揆と沙汰し |
J19_0822A12: | 夜中に乘掛り四方より火をかけ寺在家の隔なく忽 |
J19_0822A13: | ち猛火となり一時に灰燼とし漸く大方丈一ケ所殘 |
J19_0822A14: | けるに時の住持珍譽立月圓寂し無住の時なれば寺 |
J19_0822A15: | 僧は皆逃さり愚昧の輩そののち立かへりしかと右 |
J19_0822A16: | の由緖始末をも言上せす一ケ年餘過後住入院あり |
J19_0822A17: | しかと田舍ものなれは何方へといふ心付もなく是 |
J19_0822B18: | まて一ケの所務なれは守護への申出の便もなく又 |
J19_0822B19: | 其所作の辨へなくうかうかと月日のみ立行ける漸 |
J19_0822B20: | く燒殘の大方丈の合壁假に圍置屋敷の杭木も立て |
J19_0822B21: | す堺堺の分目もかまはす元來近隣にてこれまては |
J19_0822B22: | 主家のことく思ひ居けれは犯奪の輩はなかりしか |
J19_0822B23: | は屋敷内は他へ貸置けるに譜代の輩はおひおひ死 |
J19_0822B24: | 去又は寺祿先年收公ののちは離去けれは自然と減 |
J19_0822B25: | 少し漸く大方丈一ケ所の跡三十三間餘其外表裏門 |
J19_0822B26: | 道等合せて一千六十餘坪の除地に相成けるは淺ま |
J19_0822B27: | しかりし事ともなり且去し元和元年兵火の時寺僧 |
J19_0822B28: | 兩人にて持出し什物帳の裏を見るに先年の什寶の |
J19_0822B29: | 中に殘りしは |
J19_0822B30: | 十六羅漢 十六幅 雪舟筆 裏に 應永年中 |
J19_0822B31: | 十六善神 一 幅 兆典主筆同 文明年中 |
J19_0822B32: | 燈譽上人自畵自讃 一幅 同 天文十八年 |
J19_0822B33: | 同寄附淨土曼陀羅 金岡筆 同 天文廿四年 |
J19_0822B34: | 惠心僧都七幅三尊 右之外にも有之 |