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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0822A01: 州打入の時早速味方となりし故なりとそされは
J19_0822A02: 當山も其比眞敎寺のことくなさは免るへかりしを
J19_0822A03: 唯通途寺院の心にて獨見の取はからひありし故か
J19_0822A04: くのことく成行しなるへし此比は惣本山にても客
J19_0822A05: 末と稱し異流本山の次席にての謁禮ありしとそ
J19_0822A06: 寺記又云元和元年大阪軍時も東照宮の命として當
J19_0822A07: 寺の由緖かねて聞召れしかは兵火掛くへからざる
J19_0822A08: の間在家の屋の棟に其印を立置くへき旨又は五月
J19_0822A09: の小旗等を立置と仰渡されけれは寺をはしめ檀家
J19_0822A10: 迄もさに取計ひければ其印あまり夥しく相見え
J19_0822A11: けるにそ大野道軒春木村の百姓とも一揆と沙汰し
J19_0822A12: 夜中に乘掛り四方より火をかけ寺在家の隔なく忽
J19_0822A13: ち猛火となり一時に灰燼とし漸く大方丈一ケ所殘
J19_0822A14: けるに時の住持珍譽立月圓寂し無住の時なれば寺
J19_0822A15: 僧は皆逃さり愚昧の輩そののち立かへりしかと右
J19_0822A16: の由緖始末をも言上せす一ケ年餘過後住入院あり
J19_0822A17: しかと田舍ものなれは何方へといふ心付もなく是
J19_0822B18: まて一ケの所務なれは守護への申出の便もなく又
J19_0822B19: 其所作の辨へなくうかうかと月日のみ立行ける漸
J19_0822B20: く燒殘の大方丈の合壁假に圍置屋敷の杭木も立て
J19_0822B21: す堺堺の分目もかまはす元來近隣にてこれまては
J19_0822B22: 主家のことく思ひ居けれは犯奪の輩はなかりしか
J19_0822B23: は屋敷内は他へ貸置けるに譜代の輩はおひおひ死
J19_0822B24: 去又は寺祿先年收公ののちは離去けれは自然と減
J19_0822B25: 少し漸く大方丈一ケ所の跡三十三間餘其外表裏門
J19_0822B26: 道等合せて一千六十餘坪の除地に相成けるは淺ま
J19_0822B27: しかりし事ともなり且去し元和元年兵火の時寺僧
J19_0822B28: 兩人にて持出し什物帳の裏を見るに先年の什寶の
J19_0822B29: 中に殘りしは
J19_0822B30: 十六羅漢 十六幅 雪舟筆 裏に 應永年中
J19_0822B31: 十六善神 一 幅 兆典主筆同 文明年中
J19_0822B32: 燈譽上人自畵自讃 一幅 同 天文十八年
J19_0822B33: 同寄附淨土曼陀羅 金岡筆 同 天文廿四年
J19_0822B34: 惠心僧都七幅三尊 右之外にも有之

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