浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0821A01: | 狀を講談あり緇素信伏し貴賤其化益にあつかる花洛 |
J19_0821A02: | の化導盛なるが故に歸國延引いかかと泉州の寺寺所 |
J19_0821A03: | 化より日日に請迎ありしかはやかて錫を飛せ再ひ泉 |
J19_0821A04: | 南に趣往あり此時又春木西福寺の荒廢を再興の始創 |
J19_0821A05: | あり |
J19_0821A06: | 上善寺記には永正九申年西福寺中興開創と云西福 |
J19_0821A07: | 寺記には天文の始とあり案るに大山ゆゑ建立に年 |
J19_0821A08: | 月を經しなるべし |
J19_0821A09: | 抑南郡春木村西福寺といへるは開祖行基菩薩とも又 |
J19_0821A10: | は高祖大師後白川法皇とともに攝津國天王寺西門に |
J19_0821A11: | て今の一心寺其遺跡なり水想觀を修し給ひし時門弟源智上人當國 |
J19_0821A12: | よりの請によりて建立ありしともいへり檀家五十餘 |
J19_0821A13: | ケ村末寺五拾餘ケ寺ありしかど近來は追追離末離檀 |
J19_0821A14: | にて草庵のことく今の所より東に里といへる所あり |
J19_0821A15: | 七堂伽藍なりしとそ故に師此荒廢を歎息ありて天文 |
J19_0821A16: | 中まで追追再興の助勢を企られ今の地に引移させ境 |
J19_0821A17: | 内を三丁四方に構へ北東南の三方に堀をほり高堤を |
J19_0821B18: | 築き昔のことく七堂大伽藍を立ならへられし時離末 |
J19_0821B19: | 離檀の輩も追追立かへり往古にひとしく眞俗繁榮 |
J19_0821B20: | あり後奈良院遙に師の道德を叡聞させられ勅額勅願 |
J19_0821B21: | 所となし給ひしかは武將義晴公當山に下馬止車守護 |
J19_0821B22: | 不入の制札を賜り一國の上首に仰付あり是より御祈願 |
J19_0821B23: | 御菩提の兩所をかね重罪の輩たりとも一度入寺の輩 |
J19_0821B24: | は其所犯を免せられしにそ他國よりたのみ來りて門 |
J19_0821B25: | 下に伏從せるもの少からす此時將軍家より當村千石 |
J19_0821B26: | 餘をことことく領地に賜ひ近村の中にても猶所所所 |
J19_0821B27: | 務の村あり凡寺領三千石と云 |
J19_0821B28: | 當寺記云其後豐太閤根來法師か岸和田城の事なと |
J19_0821B29: | にくみ寺領其外等は釋氏の不似合なりとて悉く沒 |
J19_0821B30: | 收せられ三方の堀をも埋〓れ堤も取崩し馬留止車 |
J19_0821B31: | をも取破られ唯下馬札のみ立置れ構の三丁は唯除 |
J19_0821B32: | 地として指置けるとそ |
J19_0821B33: | 按るに當國貝塚に卜半眞敎寺ありて一向の流を汲 |
J19_0821B34: | 肉妻を恣にし今門前四方四方の所務あり是豐公泉 |