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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0821A01: 狀を講談あり緇素信伏し貴賤其化益にあつかる花洛
J19_0821A02: の化導盛なるが故に歸國延引いかかと泉州の寺寺所
J19_0821A03: 化より日日に請迎ありしかはやかて錫を飛せ再ひ泉
J19_0821A04: 南に趣往あり此時又春木西福寺の荒廢を再興の始創
J19_0821A05: あり
J19_0821A06: 上善寺記には永正九申年西福寺中興開創と云西福
J19_0821A07: 寺記には天文の始とあり案るに大山ゆゑ建立に年
J19_0821A08: 月を經しなるべし
J19_0821A09: 抑南郡春木村西福寺といへるは開祖行基菩薩とも又
J19_0821A10: は高祖大師後白川法皇とともに攝津國天王寺西門に
J19_0821A11: 今の一心寺其遺跡なり水想觀を修し給ひし時門弟源智上人當國
J19_0821A12: よりの請によりて建立ありしともいへり檀家五十餘
J19_0821A13: ケ村末寺五拾餘ケ寺ありしかど近來は追追離末離檀
J19_0821A14: にて草庵のことく今の所より東に里といへる所あり
J19_0821A15: 七堂伽藍なりしとそ故に師此荒廢を歎息ありて天文
J19_0821A16: 中まで追追再興の助勢を企られ今の地に引移させ境
J19_0821A17: 内を三丁四方に構へ北東南の三方に堀をほり高堤を
J19_0821B18: 築き昔のことく七堂大伽藍を立ならへられし時離末
J19_0821B19: 離檀の輩も追追立かへり往古にひとしく眞俗繁榮
J19_0821B20: あり後奈良院遙に師の道德を叡聞させられ勅額勅願
J19_0821B21: 所となし給ひしかは武將義晴公當山に下馬止車守護
J19_0821B22: 不入の制札を賜り一國の上首に仰付あり是より御祈願
J19_0821B23: 御菩提の兩所をかね重罪の輩たりとも一度入寺の輩
J19_0821B24: は其所犯を免せられしにそ他國よりたのみ來りて門
J19_0821B25: 下に伏從せるもの少からす此時將軍家より當村千石
J19_0821B26: 餘をことことく領地に賜ひ近村の中にても猶所所所
J19_0821B27: 務の村あり凡寺領三千石と云
J19_0821B28: 當寺記云其後豐太閤根來法師か岸和田城の事なと
J19_0821B29: にくみ寺領其外等は釋氏の不似合なりとて悉く沒
J19_0821B30: 收せられ三方の堀をも埋〓れ堤も取崩し馬留止車
J19_0821B31: をも取破られ唯下馬札のみ立置れ構の三丁は唯除
J19_0821B32: 地として指置けるとそ
J19_0821B33: 按るに當國貝塚に卜半眞敎寺ありて一向の流を汲
J19_0821B34: 肉妻を恣にし今門前四方四方の所務あり是豐公泉

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