ウィンドウを閉じる

J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0820A01: す尤是より先文祿ころ多賀谷氏の時一旦廢絶せしか
J19_0820A02: は大衆並學寮も一時に斷ゆ今其かみ數百の大衆集り
J19_0820A03: し時學行勝れ諸國に傳燈し一寺一院を建立せられし
J19_0820A04: 輩數百人の中より其傳詳なるをのみ年序前後のわか
J19_0820A05: ちなくわつかここに出すのみなり外檀林も是に凖し
J19_0820A06: 知るべし
J19_0820A07: ○重蓮社燈譽良然上人は伊勢山田人姓藤原氏安譽欣
J19_0820A08: 器上人の弟子となり飯沼に下り肇譽上人に修學居棲
J19_0820A09: すること十餘年學内外にとみ智英俊の名あり肇譽深
J19_0820A10: く其智行の双備を歎嘉し在學の間上首と定らる
J19_0820A11: 肇譽は後三河國信光明寺第二世となり同國大音寺
J19_0820A12: を中興し又知恩院廿四世の主務職となり永正七年
J19_0820A13: 八月十五日遷化あり釋蓮社訓公と稱す
J19_0820A14: 在學の時ふと發心し一食長齋晝夜誦經念佛禮課を業
J19_0820A15: とす猶靈山幽窟に入時は數日五糓をたちて精心に菩
J19_0820A16: 提心を祈誓あり猶顯密性相内外の博達として一宗の
J19_0820A17: 外自他の碩匠常に其門に來問するにすこふる文殊の
J19_0820B18: 智惠に比すべし明應三寅二月二日三河國加茂郡にい
J19_0820B19: たり高橋庄竹尾洞泉寺に住し初て化他勸誡を專らと
J19_0820B20: せらるる時道俗歸依し同國御津大音寺に主たらんと
J19_0820B21: 請依てかの寺に住しそれより五畿中國を濟度せんと
J19_0820B22: 飛錫の時かねて所化數多附從往來せしかはかの者の
J19_0820B23: 中の本國たりとて和泉の國より請し來りしかはかの
J19_0820B24: 國に至り先堺の津旭蓮社に暫住し歸依の請によりて
J19_0820B25: 南郡阿間河谷に極樂寺を開基あり又同郡名越村に安
J19_0820B26: 養寺を建立し又明應中同郡相川村安福寺をたて王子
J19_0820B27: 村に長泉寺を創立す此外俵屋新田村安養寺七山村寶
J19_0820B28: 樹寺も又師の開基なり永正元年緇素の致請もたしか
J19_0820B29: たく佐野に白道山西岸院上善寺を開創あり此時西東
J19_0820B30: より雲水集りて法問論義檀林式絶る日なし多年の間
J19_0820B31: 西國中國より德にふくし學に集りけれは洛東花頂山
J19_0820B32: 貫主德譽上人より奏聞を遂られ勅によりて紫衣を著
J19_0820B33: し高祖大師三百三十三回御忌の大會七日七夜の時當
J19_0820B34: 日の大導師と仰かれ諸門中の上首に座して大師の行

ウィンドウを閉じる