浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0820A01: | す尤是より先文祿ころ多賀谷氏の時一旦廢絶せしか |
J19_0820A02: | は大衆並學寮も一時に斷ゆ今其かみ數百の大衆集り |
J19_0820A03: | し時學行勝れ諸國に傳燈し一寺一院を建立せられし |
J19_0820A04: | 輩數百人の中より其傳詳なるをのみ年序前後のわか |
J19_0820A05: | ちなくわつかここに出すのみなり外檀林も是に凖し |
J19_0820A06: | 知るべし |
J19_0820A07: | ○重蓮社燈譽良然上人は伊勢山田人姓藤原氏安譽欣 |
J19_0820A08: | 器上人の弟子となり飯沼に下り肇譽上人に修學居棲 |
J19_0820A09: | すること十餘年學内外にとみ智英俊の名あり肇譽深 |
J19_0820A10: | く其智行の双備を歎嘉し在學の間上首と定らる |
J19_0820A11: | 肇譽は後三河國信光明寺第二世となり同國大音寺 |
J19_0820A12: | を中興し又知恩院廿四世の主務職となり永正七年 |
J19_0820A13: | 八月十五日遷化あり釋蓮社訓公と稱す |
J19_0820A14: | 在學の時ふと發心し一食長齋晝夜誦經念佛禮課を業 |
J19_0820A15: | とす猶靈山幽窟に入時は數日五糓をたちて精心に菩 |
J19_0820A16: | 提心を祈誓あり猶顯密性相内外の博達として一宗の |
J19_0820A17: | 外自他の碩匠常に其門に來問するにすこふる文殊の |
J19_0820B18: | 智惠に比すべし明應三寅二月二日三河國加茂郡にい |
J19_0820B19: | たり高橋庄竹尾洞泉寺に住し初て化他勸誡を專らと |
J19_0820B20: | せらるる時道俗歸依し同國御津大音寺に主たらんと |
J19_0820B21: | 請依てかの寺に住しそれより五畿中國を濟度せんと |
J19_0820B22: | 飛錫の時かねて所化數多附從往來せしかはかの者の |
J19_0820B23: | 中の本國たりとて和泉の國より請し來りしかはかの |
J19_0820B24: | 國に至り先堺の津旭蓮社に暫住し歸依の請によりて |
J19_0820B25: | 南郡阿間河谷に極樂寺を開基あり又同郡名越村に安 |
J19_0820B26: | 養寺を建立し又明應中同郡相川村安福寺をたて王子 |
J19_0820B27: | 村に長泉寺を創立す此外俵屋新田村安養寺七山村寶 |
J19_0820B28: | 樹寺も又師の開基なり永正元年緇素の致請もたしか |
J19_0820B29: | たく佐野に白道山西岸院上善寺を開創あり此時西東 |
J19_0820B30: | より雲水集りて法問論義檀林式絶る日なし多年の間 |
J19_0820B31: | 西國中國より德にふくし學に集りけれは洛東花頂山 |
J19_0820B32: | 貫主德譽上人より奏聞を遂られ勅によりて紫衣を著 |
J19_0820B33: | し高祖大師三百三十三回御忌の大會七日七夜の時當 |
J19_0820B34: | 日の大導師と仰かれ諸門中の上首に座して大師の行 |