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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0804A01: 寬永十一戌年二月師病ありしかは大猷院殿先年御傳
J19_0804A02: 授の法義再傳を思召させられ增上寺へ入御病をとは
J19_0804A03: せ給ひし時別に願ありやと尋問させられしかは弘經
J19_0804A04: 寺は天樹院公主御菩提所に定めさせられし上は常紫
J19_0804A05: 衣に仰付あらまほしきと奏しけるにそやがて聞せら
J19_0804A06: れ師の滅後同年四月後住十一世南譽雪念上人を上洛せ
J19_0804A07: しめ常紫衣の綸旨を頂受せしめらる此時本山知恩院
J19_0804A08: 住持雄譽靈巖大和尚と共に參内せられし時勅使高倉
J19_0804A09: 新三位中將永慶朝臣を以て靈巖大和尚并雪念上人へ
J19_0804A10: 法問可仕旨勅請ありしかは靈巖大和尚は六波羅蜜の
J19_0804A11: 法則を言上せられ雪念上人は別に三經祖釋を談せら
J19_0804A12: れし時何れも勅感不淺旨知恩院宮良純法親王より靈巖大
J19_0804A13: 和尚へ仰傳らる此儀前代未聞宗光眉目の旨大和尚自
J19_0804A14: 筆にて相送らるる所の書翰今にあり萬治二亥年八月
J19_0804A15: 洪鐘虎嘯山の下にて鑄直仰出さる是天正中に鐘兵火
J19_0804A16: に燒失せし故なり此跡へ鐘鑄松を植へしに今に奇條繁茂せり寬文の始公主老
J19_0804A17: 軀に及はせ給ひしかは毎度當山の住持玄譽を召せら
J19_0804B18: れ法義を聽聞なし給へり
J19_0804B19: 或時公主の御簾外にめされ玄譽到彼國已得六神通
J19_0804B20: 入十方界救攝苦衆生と云へる祖釋を説講の時公主
J19_0804B21: 御身にも淨土へ往生の後六神通を得て此世界へ還
J19_0804B22: 來し松平の御子孫を守らせ遊されたきとの意願を
J19_0804B23: 發させられ此發願の意を壽號に籠置され度とのむ
J19_0804B24: ね玄譽へ仰せありしかは御院號の次へ榮譽源法松
J19_0804B25: 山と連續授與し奉りけるに其意を尋させられし時
J19_0804B26: 榮譽とは御子孫榮昌の義松山とは松平の御代堅固
J19_0804B27: 不動の義源法とは淨土の法門は東照宮別て御歸依
J19_0804B28: あらせられけれは源氏の法門の義に候と祝し奉り
J19_0804B29: しかは殊にめでよろこはせ給ひいよいよ信心を增
J19_0804B30: 進なし給へりとそ
J19_0804B31: 寬文五年當寺領川闕に成行しかは其旨公主へ玄譽よ
J19_0804B32: り訴訟申上ければ公主より願はせられ羽生村にて替
J19_0804B33: 地を下さる此時の文三通今に有之末に出す
J19_0804B34: 同六年二月公主逝去遊はされし時遺骸當山へ葬すべ

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