浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0801A01: | る近郷の城主羽生修理亮淨貞同左京亮貞胤同式部丞 |
J19_0801A02: | 廣貞羽生城主渡邊豐前守吉定いつれも志を一つにし |
J19_0801A03: | 力を合せ殿堂門庫新に造營し山林數ケ所寺領二十五 |
J19_0801A04: | 貫文を寄附あり是より般舟の道塲として稱名の業を |
J19_0801A05: | つとむ第五世鎭譽魯耕上人の代天文六年より翌七年 |
J19_0801A06: | 春まて旱魃なりしかば郷民之を憂として |
J19_0801A07: | 鎭譽上人は天文十二年三河國岡崎廣忠君より請待 |
J19_0801A08: | をうけ彼の國大樹寺に轉住し廣忠君逝去の時導師 |
J19_0801A09: | をつとめらる |
J19_0801A10: | 法德を仰き請雨の祈を乞ひしかは上人彌陀寶號百萬 |
J19_0801A11: | 遍を修し請雨の祈に大衆一同丹棘を抽ければ忽ち降 |
J19_0801A12: | 雨三日車軸を流しけるにそ其旨本山知恩院より奏聞 |
J19_0801A13: | を遂けるに叡感のあまり天文七年三月二十五日勅額 |
J19_0801A14: | を下され猶又勅願所の綸旨を賜る夫より寺門大に繁 |
J19_0801A15: | 榮し天文永祿天正の頃は行學の僧常に千餘僧住山し |
J19_0801A16: | けるとそ |
J19_0801A17: | 天正元年より同五年迄は第九代存把上人也此代北條 |
J19_0801B18: | 氏直の軍將北條氏友常陸國下妻城主多賀谷修理太夫 |
J19_0801B19: | と合戰の時寺僧并末寺報國寺の僧と共に攻戰ありし |
J19_0801B20: | かは北條家の爲めに民戸共に燒拂はれ堂宇悉く燒亡 |
J19_0801B21: | す |
J19_0801B22: | 東國戰記天正元三月下云其頃北條氏政船橋城を攻落けれ |
J19_0801B23: | は小倉兵庫降參して氏政を城に入北條氏友を大將 |
J19_0801B24: | として江戸笠井河越武藏七黨の三千餘騎守屋へ向 |
J19_0801B25: | はせ氏政は豆相の勢三千餘騎にて足高の城に向ふ |
J19_0801B26: | 是より守屋へ集る人人には相馬四郞左衞門同大内 |
J19_0801B27: | 藏同求馬高井民部同彥五郞海老原六郞本多越中同 |
J19_0801B28: | 新左衞門橫瀨三郞同守屋に土岐山名坂卷鈴木湯谷 |
J19_0801B29: | 高橋法恩寺の忠圓同順敎弘經寺の西谷利天同谷杏 |
J19_0801B30: | 智南谷惠澄同觀了廓三安樂寺左中將同三位橫曾根 |
J19_0801B31: | 古谷渡邊矢澤小磯報國寺覺心同圓忠松富村戸井五 |
J19_0801B32: | 木田瀧川椎名齋藤七百五十餘騎雜兵二千五百餘人 |
J19_0801B33: | 相馬小次郞を大將として高野戸次の間利根川を前 |
J19_0801B34: | に當出陣 |