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J2870 飯沼弘経寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0800A01: 檀林飯沼弘經寺志
J19_0800A02:
J19_0800A03: 目 次
J19_0800A04: 開營沿革 綸旨公書 再營伽藍 靈 寶
J19_0800A05: 廟墳所在 歷代法流 門下源流 末 寺
J19_0800A06: 御朱印百石 下總國飯沼壽龜山天樹院弘經寺
J19_0800A07: 開營沿革
J19_0800A08: 人皇百二代稱光院御宇應永二十一午年七月起立開山
J19_0800A09: 嘆譽良肇上人は當國猿島郡豐田村石下とも云の人北條家
J19_0800A10: 一族名越右馬助嫡子太郞時藤子母は飯田監物女なり
J19_0800A11: 祖父は一族と共に亡ひ父は民間にかくれ名を改めけ
J19_0800A12: れは北條一族の追福のため出家し常陸國瓜連常福寺
J19_0800A13: 開山了實上人の座下にて淨土の行學成熟し法を嗣ぎ
J19_0800A14: 又靑柳本願寺に在す了譽聖冏後傳通院開山上人の法化を仰
J19_0800A15: き師とす
J19_0800A16: 案するに當山由緖記には增上寺開山酉譽上人の德
J19_0800A17: 化を仰き十五才にて剃髮すとあり然るに年曆大に
J19_0800B18: 相違す良肇は酉譽上人よりも年二十才も增れはさ
J19_0800B19: すれは淨土の道に入るは酉公早かりしかば冏師の
J19_0800B20: 會下にて酉譽上人の法弟とありしを謬りて門弟と
J19_0800B21: 心得けん殊に冏師は飯沼にも在し又靑柳にも住し
J19_0800B22: 給へり酉譽の開寺此邊には見えす檀林起立の慶長
J19_0800B23: の頃增上寺としたしからん事を思ひ酉譽公の法弟
J19_0800B24: と書上しを中古謬りて弟子門弟と思ひける時十
J19_0800B25: 五才を加へしなるべし又一説あれどもここにのせ
J19_0800B26: すいよいよ當山の開山は酉譽上人を師とすと云は
J19_0800B27: ばたとへんに人の孫にて其祖父をさして我子なり
J19_0800B28: といはんが如し十五才入寺とせは其年數凡四十餘
J19_0800B29: 年違へり殊に了實公の座下にて修學し冏師の嗣法
J19_0800B30: と云へは冏師の座下へ晩に來られしかは入寺の前
J19_0800B31: 後によりて酉公の法弟とありしを謬りしなるべし
J19_0800B32: 夫より諸方を遊化し道俗を利益し又當所に立歸りて
J19_0800B33: 遂に一寺建立の志願をのべられし時近隣橫曾根城主
J19_0800B34: 羽生彥八郞藤原經貞これを隨喜承諾しやがて一族に

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