浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0800A01: | 檀林飯沼弘經寺志 |
J19_0800A02: | |
J19_0800A03: | 目 次 |
J19_0800A04: | 開營沿革 綸旨公書 再營伽藍 靈 寶 |
J19_0800A05: | 廟墳所在 歷代法流 門下源流 末 寺 |
J19_0800A06: | 御朱印百石 下總國飯沼壽龜山天樹院弘經寺 |
J19_0800A07: | 開營沿革 |
J19_0800A08: | 人皇百二代稱光院御宇應永二十一午年七月起立開山 |
J19_0800A09: | 嘆譽良肇上人は當國猿島郡豐田村石下とも云の人北條家 |
J19_0800A10: | 一族名越右馬助嫡子太郞時藤子母は飯田監物女なり |
J19_0800A11: | 祖父は一族と共に亡ひ父は民間にかくれ名を改めけ |
J19_0800A12: | れは北條一族の追福のため出家し常陸國瓜連常福寺 |
J19_0800A13: | 開山了實上人の座下にて淨土の行學成熟し法を嗣ぎ |
J19_0800A14: | 又靑柳本願寺に在す了譽聖冏後傳通院開山上人の法化を仰 |
J19_0800A15: | き師とす |
J19_0800A16: | 案するに當山由緖記には增上寺開山酉譽上人の德 |
J19_0800A17: | 化を仰き十五才にて剃髮すとあり然るに年曆大に |
J19_0800B18: | 相違す良肇は酉譽上人よりも年二十才も增れはさ |
J19_0800B19: | すれは淨土の道に入るは酉公早かりしかば冏師の |
J19_0800B20: | 會下にて酉譽上人の法弟とありしを謬りて門弟と |
J19_0800B21: | 心得けん殊に冏師は飯沼にも在し又靑柳にも住し |
J19_0800B22: | 給へり酉譽の開寺此邊には見えす檀林起立の慶長 |
J19_0800B23: | の頃增上寺としたしからん事を思ひ酉譽公の法弟 |
J19_0800B24: | と書上しを中古謬りて弟子門弟と思ひける時十 |
J19_0800B25: | 五才を加へしなるべし又一説あれどもここにのせ |
J19_0800B26: | すいよいよ當山の開山は酉譽上人を師とすと云は |
J19_0800B27: | ばたとへんに人の孫にて其祖父をさして我子なり |
J19_0800B28: | といはんが如し十五才入寺とせは其年數凡四十餘 |
J19_0800B29: | 年違へり殊に了實公の座下にて修學し冏師の嗣法 |
J19_0800B30: | と云へは冏師の座下へ晩に來られしかは入寺の前 |
J19_0800B31: | 後によりて酉公の法弟とありしを謬りしなるべし |
J19_0800B32: | 夫より諸方を遊化し道俗を利益し又當所に立歸りて |
J19_0800B33: | 遂に一寺建立の志願をのべられし時近隣橫曾根城主 |
J19_0800B34: | 羽生彥八郞藤原經貞これを隨喜承諾しやがて一族に |