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J2860 瓜連常福寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0760A01:
J19_0760A02: 同四未年正月西山御殿へ御移住當山より二里餘同五
J19_0760A03: 申年二月上町海道水戸城下より上町下町の兩道あり下は枝川より田彥通り也上町は靑極よりの通りなり
J19_0760A04: より當山への新道巾九尺貳丁程也に爲開後世當山の爲として
J19_0760A05: 新道の兩邊に茶實被植又黑門より三門迄杉を被植列
J19_0760A06:
J19_0760A07: 鷹尾角之丞承り此道を開かれし故鷹尾海道といふ
J19_0760A08: 淨鑑院殿御茶園畑四石六斗八升内二石二斗五合田方永代御寄附
J19_0760A09: 同年五月依義公命益譽上人上京金剛寶戒並淨土一乘
J19_0760A10: 戒法作法傳授有之
J19_0760A11: 案るに黑谷吉水嵯峨二尊院の三傳並關東光明寺等始
J19_0760A12: 傳戒之異承有之故洛東之三傳を究極せしめ給しな
J19_0760A13: るべし傳法の事は十八檀林に承傳ありといへとも
J19_0760A14: 戒法は京の三山上に有之の傳を此頃迄は正統とせし故
J19_0760A15: 京都をうつさるへき爲なりといふ
J19_0760A16: 更に案るに京都にも其傳ありといへとも關東本山
J19_0760A17: 鎌倉光明寺は傳戒之正統了譽上人の傳戒論一卷こ
J19_0760B18: れか爲に著し玉ふ何か故に京師の所傳を望ん然る
J19_0760B19: に上京せしめらるることは抑御建立の初め瓜連の
J19_0760B20: 末寺を放ち知恩院末とし玉ふは瓜連檀林と同等に
J19_0760B21: 被遊度思召檀林を開き京都本山にて傳戒譜脈を禀
J19_0760B22: 承し傳法弘通被遊度故のことなるへし引接寺西方
J19_0760B23: 寺を再興し末寺に被爲附にて推て知るへし
J19_0760B24: 同年唐門前へ下乘黑門前へ下馬札並額田口へも下馬
J19_0760B25: 札をたてさせらる
J19_0760B26: 同六酉年三月金剛寶戒並一乘戒の作法を於佛殿修行
J19_0760B27:
J19_0760B28: 同年十月十日恢龍東庵主洛東淸淨華院へ四ケ本山之其一入院有
J19_0760B29: 案るに内德外相の勝れしを義公よりひそかに執政
J19_0760B30: 寺鑑の職に内奏せられし故なるへし
J19_0760B31: 同八亥年正月二十日大岩村西方寺を淨鑑院末に御寄
J19_0760B32: 附此寺元は文珠院とて眞言宗なりしを改號被仰付此
J19_0760B33: 後七石一斗の除地を被下置
J19_0760B34: 是は義公より瓜連丈室聚譽上人へ瓜連末寺の御所

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