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J2860 瓜連常福寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0759A01: 圓成心光合縁
J19_0759A02: 水府君義公兼而淨鑑院武田公源威公御菩提の爲伽藍
J19_0759A03: 御建立之御志願被爲在備前町心光寺境内地狹故
J19_0759A04: 貞享四年丁卯三月向山御草創心悅禪師地所見立と申
J19_0759A05: 傳之
J19_0759A06: 向山者額田郷と谷を隔向合たる山故名く但し東境
J19_0759A07: 内續に向山村有之
J19_0759A08: 境内坪數四萬五千坪餘也
J19_0759A09: 大門通北は額田領之内十間通り當山結界内也其後
J19_0759A10: 境内追追加增し元文三年の改坪には六萬四千坪餘
J19_0759A11: 元祿元二年迄に過半伽藍成就傳云當山七堂伽藍は心悅禪師差圖なりといふ備前
J19_0759A12: 町心光寺を御引移し御再興なり
J19_0759A13: 佛殿之本尊御再興太子作是則心光寺之本尊也大方丈は
J19_0759A14: 心光寺本堂之故材にて建替洪鐘も同斷鐘銘如故存す新寺御
J19_0759A15: 建立にはあらす但し心光寺の號被相省常照山淨鑑院
J19_0759A16: と爲稱るとなり御普請奉行は土屋又兵衞吟味役入江小平徒目付濱島傳右衞門等也其外略之
J19_0759A17: 元祿二巳年九月下旬參議光圀卿御歸國依而同年十一
J19_0759B18: 月二十七日新造之院へ益譽融心上人入院
J19_0759B19: 瓜連常福寺末を離れ知恩院末寺とす心光寺住持全
J19_0759B20: 了は向山西の庵を爲隱居所被差置常葉山御靈屋常福寺兼勤之所相止め淨鑑
J19_0759B21: 院兼帶に被成候
J19_0759B22: 始義公多年瓜連淸譽林昨上人を爲開祖一宇建立之御
J19_0759B23: 志願にて御契約被爲在しかども御建立より七八年前
J19_0759B24: 延寶七未年秋入寂故其后江戸深川雲光院源水上人を
J19_0759B25: 招請被有しに是又天和二戍の年冬命果故益譽上人を
J19_0759B26: 請して新造伽藍入院開堂の儀式を執り行はせらるる
J19_0759B27: といへども林昨を開山として源水を第二世として第
J19_0759B28: 三代目と謙讓せらる開山二世三世四世と記せし牌今に方丈佛檀に建之
J19_0759B29: 案るに當山の記かくの如ししかれとも此三世のこ
J19_0759B30: とは義公に伺の上さためられしなるへし
J19_0759B31: 元祿三子年唐門橋及東西兩庵造營あり
J19_0759B32: 此冬東の庵は傳通院所化恢龍移り西は先心光寺全
J19_0759B33: 了爲隱居所引移
J19_0759B34: 同年十一月十四日義公御隱居被仰付十五日被任中納

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