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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0730A01: 江戸志云極樂水につづきたるなるべしと
J19_0730A02: 御福の井 初め傳通院の境内にありしが今は松平
J19_0730A03: 播磨侯の屋敷の内となれり昔此井を堀し時土中よ
J19_0730A04: り大黑天一體を堀出しけりとかや今に傳通院の寺
J19_0730A05: 中にある大黑天是なり依て御福の井といふと國華
J19_0730A06: 萬葉記にのす按に播磨守の屋しきも昔傳通院の境
J19_0730A07: 内なりしと云云
J19_0730A08: 其ころ又氷川大明神形を現じ常に法談のため庵室に
J19_0730A09: 降臨し給ひけるが或時明神告て予は近隣に住る處の
J19_0730A10: 神なり社壇年ふりて再建に師をまつ事久し早く我社
J19_0730A11: 内にうつりて修禪述作せられなば我又神力を以法化
J19_0730A12: を助け法孫を守るべしと依て師默受拜承しかの社頭
J19_0730A13: を再興の事近隣の男女に示敎あられしに草に風を加
J19_0730A14: ふるが如く年を越ずして社頭を新建す是によつてか
J19_0730A15: の社前に庵を結び聖冏庵と名け神約にたがわず玆に
J19_0730A16: 移住せらるる事數年也
J19_0730A17: 氷川神社は御殿跡の西の方なり境内表三十六間餘
J19_0730B18: 裏行廿七間餘と云宗慶寺持なり
J19_0730B19: 社傳云人皇五代孝昭天皇の御宇鎭座ありしなり其
J19_0730B20: 後八幡太郞義家奧州下向の時當社へ參詣ありし由
J19_0730B21: 云傳ふ又世下りて了譽上人の社を再興ありて則社
J19_0730B22: 地に庵を結ひておらる是を聖冏庵といふ白山御殿
J19_0730B23: 造立ありし時も當社は往古よりの鎭座のままなり
J19_0730B24: 元祿十二年乙卯より大社となりて巢鴨の鎭守とせ
J19_0730B25: りと
J19_0730B26: 江戸砂子云當社は今御殿跡の地にあり白山權現引
J19_0730B27: 移りのころ同しく此地にうつさる了譽上人當國一
J19_0730B28: 宮足立の氷川を勸請して極樂水の龍女を祝ひたま
J19_0730B29: ふの所なりと
J19_0730B30: 江戸志云風土記に出る氷川神社神田百束十字田四
J19_0730B31: 圃人皇五代孝昭天皇諱觀松彥香殖稻天皇御宇三年
J19_0730B32: 戊辰所祭素盞烏尊大己貴命稻田比呌合三坐也とこ
J19_0730B33: れ社傳と附合せり然るを諸書誤て武州一ノ宮氷川
J19_0730B34: 神社を以て風土記に載る所の社とするは大なる非

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