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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0729A01: ば本山の所に出さる極樂水の古跡は當寺にての出瑞
J19_0729A02: なれば此地の總名となれり其ころは寺地凡七萬坪も
J19_0729A03: ありしと云御入國前後或は領主のためにささげ或は
J19_0729A04: 垣塀に勞ありとて狹少に及べり今隣邸松平氏の屋鋪
J19_0729A05: も往世寺中なり冏師蛙聲をいとひ加封せられし池も
J19_0729A06: 此邸地にありて不鳴亭の號なほ師德をあらはし傳ふ
J19_0729A07: の一となれり
J19_0729A08: 極樂の井はもと宗慶寺の境内にありしを今は松平
J19_0729A09: 播磨守屋敷に入れり了譽上人行業記云應永廿二年
J19_0729A10: 二月適于武江時七十五得勝地於小石川之邸葺草庵
J19_0729A11: 而側有岩井涓泉湧綠師呼吉水
J19_0729A12: 舊地在壽經寺之西里餘今曰宗慶寺是也寺前有吉水
J19_0729A13: 江戸名所記云小石川吉水の極樂の井はそのかみ傳
J19_0729A14: 通院の開山了譽上人吉水の寺におはせし時龍女形
J19_0729A15: を顯して上人にまみえ奉り佛法の深き旨を求めし
J19_0729A16: かば上人則ちねんごろにしめし給ふ龍女其報恩と
J19_0729A17: して此名水を出して奉りけり此故に極樂の井と名
J19_0729B18: くと江戸志云極樂の井は今は松平播磨守侯の屋敷
J19_0729B19: の内にありもと石川山善仁寺の境内なりと云説あ
J19_0729B20: れど大きなる誤なり此播磨守の屋鋪はもと宗慶寺
J19_0729B21: の境内なるを昔水戸殿より所望にて代りの地八千
J19_0729B22: 坪を出し宗慶寺の地内八千坪にかえ播磨侯の邸と
J19_0729B23: なしたまふ故に極樂水もおのづから此藩中に入し
J19_0729B24: なり今も宗慶寺に極樂の井とてあるはかの侯屋敷
J19_0729B25: よりよび水とせしなりと是則ち宗慶寺を傳ふる所
J19_0729B26: なり此井ある故に此邊すべて極樂水とよびて今は
J19_0729B27: 地名となれり江戸名所記云了譽上人吉水の寺にお
J19_0729B28: はせし時龍女來りて佛法の深旨を求めしかば上人
J19_0729B29: 則即相無相事理倶頓の要法をしめす龍女即悟無生
J19_0729B30: の理にかなひ菩薩戒の血脈をうけて報恩として此
J19_0729B31: 名水を涌出し奉れり 狂歌
J19_0729B32: 法をえて龍女進上する水は
J19_0729B33: 了譽とともにふしぎなりけり
J19_0729B34: 播磨町も極樂水の内なり

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