ウィンドウを閉じる

J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0728A01: 元和七年家督領二萬六千石同八年移羽州上山四萬
J19_0728A02: 石寬永三寅七月十一日卒年五十七
J19_0728A03: 同人室
J19_0728A04: 長昌院華岳法春大姉 寬永六年八月廿九日
J19_0728A05: 外山前中納言光實姉 歌園殿
J19_0728A06: 蓮池院園譽貞林大姉 文化
J19_0728A07: 右之外水野健次郞竹尾善介黑田五左衞門長谷川三
J19_0728A08: 十郞等其外麾下並御家人等廟塚數多有之
J19_0728A09: 門末由縁
J19_0728A10: 小石川吉水山宗慶寺
J19_0728A11: 境内除地古跡なり
J19_0728A12: 延享三寅年十月改正の時九百四拾貳坪門前町屋惣
J19_0728A13: 間口三十二間半門内南之方間口四間外に居地除地
J19_0728A14: 古跡表五拾三間裏へ六拾壹間又七千餘坪播州へ搆
J19_0728A15: 込ともいふ替地として本所鐘撞堂において地を賜
J19_0728A16: ふと云
J19_0728A17: 本堂 七間四面 鐘堂 玄關
J19_0728B18: 庫裏 表門門番所附
J19_0728B19: 當寺に朝覺院殿の御廟石あり
J19_0728B20: 開山本山に同じく了譽聖冏大和尚なり冏公の行實其
J19_0728B21: 外は本山の所に出る故にここに略す當寺はそのかみ
J19_0728B22: 下總國橫曾根より初て武藏國へ移られし時最初結庵
J19_0728B23: の靈地にて龍神降現氷川神臨の勝境なり仰て往事を
J19_0728B24: 縮考するに神現奇瑞の本處なれば一步結縁の者は現
J19_0728B25: 當の兩益賴みあり依て當今を現觀するに極樂吉水の
J19_0728B26: 地名なれば九夏三伏の時も熱惱の除成空しからずこ
J19_0728B27: こに東照宮御尊母御葬縁ののち別に傳通本山を御創
J19_0728B28: 開の上聖冏庵御再興と仰せ出されしかば
J19_0728B29: 是は縁山觀智國師自山の十二世の大祖酉譽上人の
J19_0728B30: 本師なれば尚古の義心より冏公の德光を末代に光
J19_0728B31: 輝せらるる所なり
J19_0728B32: 當庵を傳寶院と改ため無量山壽經寺の號を以て本山
J19_0728B33: に移す元和七年上總少將忠輝卿の母儀朝覺院殿明譽
J19_0728B34: 宗慶大姉入棺ののち院號を改め宗慶寺と名づくされ

ウィンドウを閉じる