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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0688A01: 庵室を作る事凡七ケ所もありて上人の休所とし亦は
J19_0688A02: 十念を授けらるる所とせり菅井村に住る事年久しき
J19_0688A03: は先祖の菩提を弔らふ心なるへし熊野へ參詣あり寬
J19_0688A04: 政四年とかや比井崎にて大船六七十艘も破船し五百
J19_0688A05: 人餘も水死ありける上人是を弔ひ助けんとて海邊の
J19_0688A06: 人なき難所にて念佛修行せらる淸介付隨ひて喰物供
J19_0688A07: 養するに人里離れ道もなき難所二三里もある處を毎
J19_0688A08: 日里に出て食物を求上人に供養す上人は元來常に持
J19_0688A09: 齋なれとも淸介さもなけれは食物ともしけれとも共
J19_0688A10: に持齋して念佛修行せり上人は名號一字ことに數百
J19_0688A11: 返念佛して名號を書海に流し其亡靈を弔はれけり寬
J19_0688A12: 政十年巳年攝州住吉郡桑津村見性寺へ上人を迎へ念
J19_0688A13: 佛修行あり同國免原郡吳田村吉田何某とて其地に
J19_0688A14: 年久鋪富る人あり今の隱居老人は學文并に諸藝通せ
J19_0688A15: る人にして慈悲深く先年飢饉の折しも内内にて米あ
J19_0688A16: また貧き人に施しけれは公儀の御聽に達し御褒美あ
J19_0688A17: りし程の事也養子某は大坂今橋高木氏の次男にて兼
J19_0688B18: てより上人を歸依して度度むかへ度よし述られしに
J19_0688B19: うけかはれさりけるに上人桑津へ來られし時一ノ谷
J19_0688B20: は古戰塲にて打死せし亡靈も今に惡趣に沈みてあり
J19_0688B21: なむ是をたすけんとて趣かれける中途なれは吉田氏
J19_0688B22: 強てととめ三日餘家内も共に念佛し參詣もおひたた
J19_0688B23: し夫より一ノ谷にて一晝夜念佛修行ありて歸りにも
J19_0688B24: 亦吉田氏に三日滯留せられけり夫より紀州菅井村に
J19_0688B25: 歸らる其年の十一月吳田より強て迎へけれは來られ
J19_0688B26: ける留め置て家より廿丁餘り外の山中に庵を作りて
J19_0688B27: 上人念佛の道場とす亦一年あまり有てそれより二丁
J19_0688B28: 程奧に庵室を造立して上人並に隨伴の住所と定め置
J19_0688B29: けり同國西宮葛馬某も兼て佛法歸依の人なり淨土宗
J19_0688B30: 經歷和尚其外禪家の知識たちに相見して法要を聞れ
J19_0688B31: けり經歷和尚備前へ行れし留主に信龍師桑津へ參詣
J19_0688B32: して上人に隨身せらる時に葛馬へ上人歸依せらるへ
J19_0688B33: しと勸められける吉田氏よりも日比は葛馬某と熟意
J19_0688B34: の中なれは度度勸められける故上人吳田より紀州へ

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