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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0686A01: 此傳安永七戊戍三月小几泉谷慧頓撰
J19_0686A02: ○德本上人傳
J19_0686A03: 德本上人は紀州日高郡久志村の産也幼名三之丞後に
J19_0686A04: 十介と改め父は三太夫母は某氏兄弟四人あり兄は惣
J19_0686A05: 領なれとも出家の望ありて先達出家せり弟も出家し
J19_0686A06: て增上寺へ勤め今は知恩院にあり名を天跡といふ妹
J19_0686A07: 壹人あり是にむこをとりて家をつがしむ上人は其中
J19_0686A08: 子也姓は布施氏にて同國菅井城主畠山政長の後胤に
J19_0686A09: て河内浪人なりされとも代代百姓にて家貧かりけれ
J19_0686A10: は山に入て薪をとりて是を賣り世を渡る業となした
J19_0686A11: り上人幼年より外の童と違ひ手習するにも彌陀の名
J19_0686A12: 號を寫す事を好めり我家に秘藏せし祐天上人執筆名
J19_0686A13: 號をひそかに持出てひたすらに是を寫し後には名號
J19_0686A14: のみ習ひけり其家元來本願寺門徒なりよつて師とす
J19_0686A15: る長樂寺に行て住持に念佛のたふとき事ともを聞き
J19_0686A16: てそれより晝夜念佛懈怠する事なし十七八歳の頃と
J19_0686A17: かやしかしなから多念義に渡り本願寺の宗意に背く
J19_0686B18: 也とて師の住持より淨土宗に轉派すべしとて住持の
J19_0686B19: 日比したしみける財村の淨土宗往生寺の弟子となら
J19_0686B20: しめ剃髮して名を德本と呼れけるかくて一とせあま
J19_0686B21: りにして千津川といへる谷川の邊に引籠り雨にうた
J19_0686B22: れ風に吹かれても着物とては法衣のみ着し喰物は人
J19_0686B23: の持來るに任せ粟稗黍蒿麥の類一つ鍋に入て粥とな
J19_0686B24: し飢を凌き食物なきとても里に出て乞ふ事もなく幾
J19_0686B25: 日にても食せさりしとかや世の中を遠さけ念佛修行
J19_0686B26: 怠らす近き村村の人打寄て庵を結てあたへける此時
J19_0686B27: より隨身の出家も二三人有り遠近の參詣并に十念を
J19_0686B28: 授かるものおひたたしここにある事三年餘りにして
J19_0686B29: 餘りに人の多く集る事をいとひ萩原村の山奧に移り
J19_0686B30: けれは其あたりの村村よりも庵をむすひあたへける
J19_0686B31: に亦前のごとく參詣の者多かりけり其時に熊野邊の
J19_0686B32: 禪宗體の僧二三人上人の道法を試んとて來り問て曰
J19_0686B33: 何故に念佛すと答て云念佛の難有事を聞し故なり亦
J19_0686B34: 問何故に有かたきや答て曰有がたきと聞故也更に別

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