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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0670A01: を問答あられしに榮公は久しくすみて學徒も輻湊し
J19_0670A02: 近隣の他宗も粗德義を服膺せしかは冏師の志厚を感
J19_0670A03: し諸聖敎を貸閲せしめ近隣の地藏院の別院を借栖所
J19_0670A04: と定進らる是より互に諸釋の著述宗門にとみて末學
J19_0670A05: の依賴となれり冏師是より近國に錫を飛はせ緇素を
J19_0670A06: 勸策し淨敎の弘通を專要とせらる近國の領主城主各
J19_0670A07: 各信伏し其法要を聞て專修の門に入るもの少からす
J19_0670A08: 是より先正平十五子年北朝延文五年なり當國の諸士此頃多く南朝に屬すより同廿
J19_0670A09: 巳年迄相模國桑原道塲淨蓮寺に在隨し口决抄等を述
J19_0670A10: あり又下野國宇都宮淸岸寺に逗留し法相の宗義を研
J19_0670A11: 覈あり凡前後の著述二藏義三十卷同見聞八卷傳通記
J19_0670A12: 糅抄四十八卷傳籍十八通二卷名目圖見聞三卷等二百
J19_0670A13: 餘卷なり又檀家貴賤の請によりて寺を開基ある事殊
J19_0670A14: に多し下總國飯沼弘經寺開基良肇の請によりて同國
J19_0670A15: 橫曾根の法性寺同國坂手三福寺同國靑柳本願寺同國
J19_0670A16: 逆井常繁寺常陸國久慈郡西染村無量山傳通院西光寺
J19_0670A17: 同郡新宿村仁王山入定院極樂寺武藏國靑木村靑木山
J19_0670B18: 專稱寺等皆是師の起立なり應永中高弟酉譽上人下總
J19_0670B19: 國千葉郷貝塚より武藏國にうつり宗門弘通の時
J19_0670B20: 今江戸麴町貝塚は則上人の塚なり彼塚を貝塚法印
J19_0670B21: の塚と傳ふ其頃は野路廣く地名もなき所に下總國
J19_0670B22: 貝塚より移り來り一寺開基あられしかは人尊稱し
J19_0670B23: て貝塚上人又は貝塚法印と云是其ころ當國は新義
J19_0670B24: 眞言の山伏のみ多く住在し淨土門なとは一ケ寺も
J19_0670B25: なかりしかは人皆法印といふは尊稱の義なり上人
J19_0670B26: 千葉家の賢息なれは尊稱の名つひに地名となれり
J19_0670B27: 是肥前國ふけゐの浦に長崎小太郞すみて長崎と改
J19_0670B28: り常州の武田村より甲斐國にうつりて武田の村號
J19_0670B29: はしまり遊行上人入寂の所みな藤澤と改稱せしか
J19_0670B30: は諸國に藤澤の名多きか如しかかりしかはつひに
J19_0670B31: 貝塚上人法印なと呼初しなり今の增上寺本地の開
J19_0670B32: 創の縁となり又村名となれり
J19_0670B33: 頻に武藏國に移りて弘通隱栖のむねを乞はる是此時
J19_0670B34: 武藏國は兩上杉家の威權つよく管領の撫民にて少し

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