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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0671A01: く治り靜なりけれは師も老後の慶開と應永十年武藏
J19_0671A02: 國にうちこえ貝塚蘭若に逗棲し小石川郷光圓寺は行
J19_0671A03: 基菩薩の開基にて六阿彌陀元木にて作ありし藥師如
J19_0671A04: 來を本尊とせしかは是へ參籠し宗風の弘通を祈願し
J19_0671A05: 且は自他往生の功益を欣願せらる滿夜善逝の告夢に
J19_0671A06: よりて同所吉水に無量山壽經寺を建立あり此所に隱
J19_0671A07: 栖し般舟三昧の增進の外他事なし
J19_0671A08: 此地に淸淨水を新堀せられしかは今も極樂水と云
J19_0671A09: 地名となれり又吉水とも云此吉水の名は瓜連より
J19_0671A10: ともいふ扨池水に蛙聲春深くかまひすかりしかは
J19_0671A11: 師呪止せられしより當今四百五十年に及ふといへ
J19_0671A12: とも蛙鳴す今松平播磨守の屋敷の庭水となり其池
J19_0671A13: 水にそひて不鳴亭といへる閑亭あり
J19_0671A14: 師常福寺に二世の住ありしより諸伽藍に住務新建あ
J19_0671A15: りといへとも本心著述にありて自利利他圓滿の外な
J19_0671A16: し其神道和歌等の書編に於るは本意にあらすといへ
J19_0671A17: とも隨方毘尼と謂へきのみ應永二十七年九月廿七日
J19_0671B18: 安祥として往生あり世に傳て文殊大聖の再誕と云十
J19_0671B19: 德を立て宗門の中興と仰く實に義解著述の高迹記主
J19_0671B20: 公の以後當流に亞才なしといふへし師の上足酉譽上
J19_0671B21: 人又是が嗣傳の襲祖と稱せられ三縁山を開創あり
J19_0671B22: 師の行狀を記する書 本傳一 八祖傳下尾 東國高
J19_0671B23: 僧傳十廿二右 淨土列祖傳一十八右 鎭流祖傳又淨土本朝高僧傳と云
J19_0671B24: 十右 本朝高僧傳十七十六左淨慧二之十四 總系譜
J19_0671B25: 二右 近世文化中繪入行狀傳二等
J19_0671B26: 淨土列祖傳云上人諱聖冏常州久慈郡人華蹟類聚抄二久慈郡岩瀨
J19_0671B27: 白吉志摩權太守義光佐竹家族新羅三郞源義滿後胤也
J19_0671B28: 官至太守母橘氏常憂無嗣禱於岩瀨神感瑞夢而光明
J19_0671B29: 院曆應四年辛巳正月廿五日誕生爲人聰睿越倫面有
J19_0671B30: 光彩甫五歳父卒于戰塲母入山拾菓救飢鞠養年八
J19_0671B31: 歳依瓜連草地山常福寺了實出家頂骨高聳眼光射人
J19_0671B32: 額載纎月頴悟超異宿積精敏十歳日日誦萬言辯傾懸河
J19_0671B33: 過目則如見掌丸耳目所觸記臆不忘十一歳涉獵内
J19_0671B34: 外典籍實甚喜稱爲法器虚空藏菩薩告實公曰此是遐代

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